2017年2月17日金曜日

どうせなら生きていたい 『なりゆきな魂、』瀬々敬久

私がこの世界に生きているのには何の意味があるのだろう、という壮大な問いが終始ひそひそとこだましているにもかかわらず、画面に映る人々の動きはひどく散漫で滑稽である。そのギャップを最初はクスクスと笑っているだけなのだが、気付くとそのシュールな導きによって何か答えらしきものの明かりが視えてくる。『ヘブンズ・ストーリー』でこもっていた力はすうっと抜けたようで、ゆるやかだが強度は同じくたくましいのがこの『なりゆきな魂、』だ。
次々と偶然にもそこに居合わせてしまった人たちの悲喜こもごもが描かれる。柄本明と足立正生が演じる老人2人が強姦未遂の現場に出くわすエピソードでは、深刻な現場に対する、老人2人ののろまな動きが非常に可笑しかった。犯人をポカポカとバットで殴るのだが、そこで響くキンッという音の繰り返しが、人がそこで確実に死のうとしていながらどこか面白く、少しおそろしい。
バス事故で生き残った人たちのその後を描いたエピソードでは、生死の偶然性が強調される。被害者の会で故人を語る生き残ったものたちの顔ぶれは、ループし繰り返される展開のなかで、入れ替わり立ち代る。生き残った者たちが語る言葉は時に誠実で時にふざけていて、こちらは深刻になればよいのか笑えばよいのか宙づりにされる。彼らのやりとりをみるうちに、誰が生き残ればよかったとか、そんなことはどうでもよくなってくる。生き残ったことの苦悩を抱える女性が行き着くのは、人の生死そのものに理由もないし価値もない、という突き放したような、でも逃れようの無い事実である。
そんな世界に生きる意味はあるのかと嘆くのが、桜満開の校庭で殺しあう男女を目撃する佐野史郎だ。美しすぎるほどに美しい桜の下では、知り合ったばかりの男女が殺しあっている。ありえない話だと言えるだろうか。そうとも言えないのがこの私達が生きる可笑しな世界である。そこに背を向けるのは簡単だが、それでも佐野史郎のように手で顔を覆いながら指の隙間から覗いてしまうのが人間の性である。

 バス事故で生き残った女性に少女が語るのは、存在するだけで私たちは良いということだ。よくわからないが美しいと思えるバレエがそれを象徴している。そう思うとふっと気がらくになる。この世界は浅はかで滑稽だが、とにかく生きてみよう。そうしたゆるやかな決意が、ラストで立ち尽くす柄本明の横顔にこもっていた。