2023年1月24日火曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑧:引き継がれるアリシア・ベガの映画教室

  『にわのすなば』の公開が始まろうとする12月のはじめに、ペルーとの国境沿いにあるアリカという町に1週間ほど滞在していた。首都サンティアゴとは全然ちがう、砂に覆われた風景が印象的なこの町に行ったのは、チリで子ども向けの映画教室を30年以上続けたアリシア・ベガのメソッドを学ぶワークショップに参加するためだった。アリシア・ベガが主宰する映画教室自体は2015年を最後に行われていないが、2016年にアリシア・ベガ文化財団という組織が設立され、アリシアが考案した映画の教え方を共有したり、過去の子どもたちの作品の展示会を開いている。2022年からは、サンティアゴやバルディビア、チロエ、アリカといった国内各地で、全四日間の日程で講師向けのワークショップを開いている。 
 私はこの子ども映画教室について調査していて、とある上映会でこの財団のメンバーの二人と知り合ったことがきっかけで、このワークショップに参加した。アリカはサンティアゴから飛行機で3時間ほどと遠いが、この機会を逃したらもう次はないだろうと思って応募したら運良く選考に通ったので参加できることになった。
 このワークショップは参加者が子どもの立場になって実際にアリシアが行ってきた内容を体験することが主な内容となる。みんなで机を囲んで、自分の手でソーマトローポやゾートローポを作り、それで遊ぶ。今までやったことがなかったので分からなかったが、実際に自分が描いた絵が自分の手によって動きはじめるのを見るのはとても楽しい。子どもだろうが大人だろうが関係なく、ものが動くだけで人は感動するのだとわかった。私は小さいころから絵を描くのが下手で、図工や美術の時間でまわりの人がすいすい上手にアイデアを具現化していくのを見ると落ち込んでいたのだけれど、今回のワークショップでは下手なりに自分でイメージを作ってそれを動かす喜びを知った。
 このように、アリシアの映画教室は映画の起源である、イメージが動きだす仕組みから学んで、徐々にカメラのアングルやショットのサイズ、シーンやシーケンスの区切りなどを学んでいく。けれどこの教室の主な目的は、プロの映画人を育てることでも、映画の専門的な知識を教えてシネフィルを育成することでもない。子どもたちが映画を通して自己を表現し、他者と触れ合い、世界を知ることで、自分なりの楽しみを見出すことが目指されている。その点で、これまでアリシアが教室を行ってきたのは、チリのなかでも貧しい生活をおくっていく子どもたちのためであったことは忘れてはいけない。日々の生活もままならないなかで映画はなにができるのかという根本的な問いがこの教室にはつねにある。アリシアにとっての映画とは、今ある自分の世界を表現しながらも、ここにある現実とは別の世界を映すものでもある。アリシアの活動はアート・アクティヴィズムだと言っていた講師の言葉はそのとおりだと思う。この教室は子どもたちにとって「もうひとつの居場所」であるべきであり、そこでは子どもたちを尊重することが大事だ。独裁政権下ではじめられたこの取り組みは、いまだ格差が根強く残る社会のなかで光を失っていない。
 アリカのワークショップに参加した人たちも、こうした意識を強くもっていた。参加者の多くはこの地域の学校の先生で、近年の格差の問題や増加する移民への教育といったテーマについて真剣に悩んでいる人が多かった。アリカはもともとペルーやボリビアとチリの文化が混ざり合ったような風土があるところだけれど、近年はベネズエラやコロンビアの移民がかなり増えている。そうした環境で、どのように教育を多様な層に届けられるのかという観点は、ワークショップのなかでもよく議論されていた。参加者の大半は女性で、子ども連れで参加している人も多かった。彼女たちと同じ机で作業して各々の作品を褒め合い、映画の感想を共有するのは楽しかった。とくにチャップリンを皆で笑いながら見る感動というのは普遍的なものだと実感した。
 自分がもてなされている、受け入れられているという感覚がたしかにあったことは、この財団のワークショップのすばらしさだと思う。参加費はすべて無料で、朝集合したあと、まずはみんなで朝食を食べることからはじまり、途中の昼休憩にも美味しい食事と飲み物が用意され、全員でテーブルを囲む。お金をなるべくかけないようになるべく手作りの飾りや材料でワークショップが行われていたこともよかった。本来の映画教室は全部で15日にわたるらしいが、今回はそれを濃縮して4日間、それでも最後はみんなと別れるのが惜しかった。最終日には全員の作品の展覧会と修了式、そして去年アリシアが刊行した全三巻の映画教室のメソッド本がプレゼントされた。
 この経験をもとに日本でも同じようなことができないだろうかと考えているし、機会があればこの本を翻訳したいと思う。あと、この教室にある「楽しさ」については、今後もっと考えていきたいと思った。映画とわたしたちの生がつながり、それぞれを生かしあうような喜び。気取らず、驕らず、映画を成すひとつひとつの要素に触れることの楽しみ。