2023年7月9日日曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑩:「姉妹の力」ー美味しいマプーチェ料理

  ひとりの学生としてなかなか懐具合も厳しいところ、料理がビビッ!と「美味しい」と感じるレストランにサンティアゴでめぐりあうことはなかなか難しいけど、この前行ったマプーチェ料理のお店はすばらしかった。NEWEN LAMNGEN、マプーチェ語で「姉妹の力」という名前のこのカフェ・レストランは、ティルソ・デ・モリーナ市場という小さな市場の2階にひっそりある。サンティアゴには『地球の歩き方』にも載っていて観光客が多い中央市場と、チリ人でごったがえしている巨大なベガ市場という二つの有名な市場があるが、その間にある小さな市場にある。

 新鮮な野菜のサラダ、揚げたてのソパ・イ・ピージャ(揚げパン)とメルケン入りサルサソース、分厚い骨つき豚肉をピリ辛ソースでオーブンでじっくり焼いたものとたっぷりのポテト、カスエラ(大きな牛肉やじゃがいも、かぼちゃ、とうもろこしがごろごろ入ってるチリの名物スープ)。ぜんぶ心のこもった味でほろほろと美味しかった。店主の女性も優しくていい人だったけど、ウェブ記事を読むと自身のルーツのマプーチェの文化や料理を伝えようと、協働的なかたちでお店を運営し、文化活動も行なっているみたい。

 サンティアゴに来たときはぜひ行ってみてください。次に行くときは、記事の写真にも載ってるプルマイ(チロエ地方の料理で、蒸した魚介や野菜や肉をスープみたいにしたものらしい)を食べてみようと思う。

 

2023年7月1日土曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑨:近況、「私たちは痕跡だ」

  気づいたら最後にブログを更新したのが1月になっていた。もう7月なので、サンティアゴにいられるのもあと2ヶ月もない。博士論文を書くための調査に来ていて、だいたいの方向性と書く内容が固まったのはよいけど、ここのところあまり調査そのものは進んでない気がする。6月は高熱が一週間ほど続いて(インフルエンザらしかった)、そのあと大雨でうちが停電しているなかホテルに駆け込んで日本との夜通しのzoom会議を二日続けてやったらまた熱が出たりしてかなりきつかったが、ここからは少し頭を切り替えて、できるだけ本を読んだり映画を見たり、人と会っていきたい。

 これまで何度も書いているけれど今年はクーデターから50年目なので、あちこちでそれにちなんだイベントが行われている。この前、6月29日は50年前のクーデター未遂についての上映会がチリのシネマテークで行われた。『チリの闘い』を見たことがある人なら覚えていると思うが、第2部と第3部で映される、カメラマンのレオナルド・ヘンリクセンが自らの死を記録した映像をめぐる証言ドキュメンタリーと、当時のニュース映画の上映があった。カメラに向けて兵士が発砲し、やがて撮影者の身体とともに崩れ落ちていくあの映像は一度見たら忘れられない。イベントでは、当時の現場にたまたま居合わせた録音技師と、一連の事件について当時ニュース映画を作った人のお話があった。特に後者のニュース映画はよくできていて、あまり準備する時間もなかったろうにさまざまな角度からの記録映像がつなぎあわされ、かつ直線的な編集ではなく軍部を批判するようなコラージュ(ナチスの映像をつなげたり)もきかせている。使われている音楽や編集の仕方が、あきらかにサンティアゴ・アルバレスのニューズリールを意識していて、やはり彼の影響は大きかったのだと思った。それにもましてすごかったのは、上映後のお話でニュース映画の監督が当時の撮影状況をたいへんスリリングに詳細に話していたことだった。どこに立っていたか、誰からカメラを渡されたか、といった一刻一刻を細かく早口で述べていって、こんなに覚えていられるのかと驚いた。

 ヘンリクセンの映像をよく見ると、彼に向かって撃った兵士は3人いた。誰の弾が当たったのかはわからないが、ヘンリクセンが一人目が撃ったあとも記録を続けようとしたことはたしかだ。兵士全員、撃つまでの動作がスムーズというか「とりあえず撃っとくか」みたいにさりげなくて、それが怖かった。

 GAMという大きな演劇、アートスペース(https://gam.cl/)はクーデター50年目の一連の取り組みのキャッチコピーを「私たちは痕跡だ」(Somos huellas)としている。いい言葉だと思った。

2023年1月24日火曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑧:引き継がれるアリシア・ベガの映画教室

  『にわのすなば』の公開が始まろうとする12月のはじめに、ペルーとの国境沿いにあるアリカという町に1週間ほど滞在していた。首都サンティアゴとは全然ちがう、砂に覆われた風景が印象的なこの町に行ったのは、チリで子ども向けの映画教室を30年以上続けたアリシア・ベガのメソッドを学ぶワークショップに参加するためだった。アリシア・ベガが主宰する映画教室自体は2015年を最後に行われていないが、2016年にアリシア・ベガ文化財団という組織が設立され、アリシアが考案した映画の教え方を共有したり、過去の子どもたちの作品の展示会を開いている。2022年からは、サンティアゴやバルディビア、チロエ、アリカといった国内各地で、全四日間の日程で講師向けのワークショップを開いている。 
 私はこの子ども映画教室について調査していて、とある上映会でこの財団のメンバーの二人と知り合ったことがきっかけで、このワークショップに参加した。アリカはサンティアゴから飛行機で3時間ほどと遠いが、この機会を逃したらもう次はないだろうと思って応募したら運良く選考に通ったので参加できることになった。
 このワークショップは参加者が子どもの立場になって実際にアリシアが行ってきた内容を体験することが主な内容となる。みんなで机を囲んで、自分の手でソーマトローポやゾートローポを作り、それで遊ぶ。今までやったことがなかったので分からなかったが、実際に自分が描いた絵が自分の手によって動きはじめるのを見るのはとても楽しい。子どもだろうが大人だろうが関係なく、ものが動くだけで人は感動するのだとわかった。私は小さいころから絵を描くのが下手で、図工や美術の時間でまわりの人がすいすい上手にアイデアを具現化していくのを見ると落ち込んでいたのだけれど、今回のワークショップでは下手なりに自分でイメージを作ってそれを動かす喜びを知った。
 このように、アリシアの映画教室は映画の起源である、イメージが動きだす仕組みから学んで、徐々にカメラのアングルやショットのサイズ、シーンやシーケンスの区切りなどを学んでいく。けれどこの教室の主な目的は、プロの映画人を育てることでも、映画の専門的な知識を教えてシネフィルを育成することでもない。子どもたちが映画を通して自己を表現し、他者と触れ合い、世界を知ることで、自分なりの楽しみを見出すことが目指されている。その点で、これまでアリシアが教室を行ってきたのは、チリのなかでも貧しい生活をおくっていく子どもたちのためであったことは忘れてはいけない。日々の生活もままならないなかで映画はなにができるのかという根本的な問いがこの教室にはつねにある。アリシアにとっての映画とは、今ある自分の世界を表現しながらも、ここにある現実とは別の世界を映すものでもある。アリシアの活動はアート・アクティヴィズムだと言っていた講師の言葉はそのとおりだと思う。この教室は子どもたちにとって「もうひとつの居場所」であるべきであり、そこでは子どもたちを尊重することが大事だ。独裁政権下ではじめられたこの取り組みは、いまだ格差が根強く残る社会のなかで光を失っていない。
 アリカのワークショップに参加した人たちも、こうした意識を強くもっていた。参加者の多くはこの地域の学校の先生で、近年の格差の問題や増加する移民への教育といったテーマについて真剣に悩んでいる人が多かった。アリカはもともとペルーやボリビアとチリの文化が混ざり合ったような風土があるところだけれど、近年はベネズエラやコロンビアの移民がかなり増えている。そうした環境で、どのように教育を多様な層に届けられるのかという観点は、ワークショップのなかでもよく議論されていた。参加者の大半は女性で、子ども連れで参加している人も多かった。彼女たちと同じ机で作業して各々の作品を褒め合い、映画の感想を共有するのは楽しかった。とくにチャップリンを皆で笑いながら見る感動というのは普遍的なものだと実感した。
 自分がもてなされている、受け入れられているという感覚がたしかにあったことは、この財団のワークショップのすばらしさだと思う。参加費はすべて無料で、朝集合したあと、まずはみんなで朝食を食べることからはじまり、途中の昼休憩にも美味しい食事と飲み物が用意され、全員でテーブルを囲む。お金をなるべくかけないようになるべく手作りの飾りや材料でワークショップが行われていたこともよかった。本来の映画教室は全部で15日にわたるらしいが、今回はそれを濃縮して4日間、それでも最後はみんなと別れるのが惜しかった。最終日には全員の作品の展覧会と修了式、そして去年アリシアが刊行した全三巻の映画教室のメソッド本がプレゼントされた。
 この経験をもとに日本でも同じようなことができないだろうかと考えているし、機会があればこの本を翻訳したいと思う。あと、この教室にある「楽しさ」については、今後もっと考えていきたいと思った。映画とわたしたちの生がつながり、それぞれを生かしあうような喜び。気取らず、驕らず、映画を成すひとつひとつの要素に触れることの楽しみ。

2022年12月9日金曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑦:いろいろ近況、『にわのすなば GARDEN SANDBOX』見てね!

  先月から現在まで、アルゼンチンのメンドーサ、チリのコンセプシオン、アリカ、ペルーのタクナといろいろなところを移動してきた。長距離バスに乗りまくってさすがに疲れて少し体調を崩したけれど、今は元気になってきた。映画祭にいくつか行って、たしかに楽しいんだけど、ちょっともうお腹いっぱいに感じるときもある。ひたすら映画を見るのは好きなのだが、新しい人に会いつづけるのがたまにきつい。研究調査で来てるのだからグイグイ現地の映画コミュニティに入るべきだが、元来私はあまり社交的な性格ではなく、仲のよさような映画人たちのグループにひとりぽつんと入るのはなかなかエネルギーを使う。作品を見た後すぐにその作家に会うのも超緊張する。映画祭といってもチリの映画コミュニティはせまいのでみんな顔見知りのようなかんじで、上映前も後もそこかしこでグループができている。みんな親切だから嬉しいのだけど、もっと話せるようになりたい。

 今はペルーとの国境近くにある町アリカにいて、アリシア・ベガ財団がやっている映画教室のワークショップに参加している。また次回のブログで詳しく書くけど、これがすごく楽しい。『100人の子供たちが列車を待っている』のアリシア・ベガの授業を、講師のもとで自分たちで体験しながら、自分たちで教室を開く「先生」になるためのワークショップ。全4回で今週末で終わりなのだが、アリシア・ベガの表面的なメソッドだけでなく、なぜ映画で教育なのか、なぜチリでこれが生まれたのか、よくわかった。もう一度ゼロから映画と向き合いたいと思えるような体験。終わったらまた感想を書く。

 明日は『にわのすなば GARDEN SANDBOX』がポレポレ東中野で公開する。できるなら日本に帰ってスタッフやキャストのみんなと一緒にポレポレのスクリーンで見たかったけれど遠いから残念、zoomで我慢。初号試写を渋谷の光塾で見た時は、終始足がガクガク震えていたのを覚えている。とにかく見るのが怖かった……けど見てみると楽しかった。もう撮影から1年経って周りもだいぶ変わってしまった。早い。でも、『にわのすなば』は何度見ても慣れないというか飽きないというか、懐かしいという感じでもないし、見るたびにうずうずしながら色々な感情になる。自分で出演したので客観的には見れないけれど、パンフレットになるキノコジン2号にも書かせてもらった。この人たちと一緒に書けたらいいなと思っていた執筆者ばかりのすごい読み物のはずなので手にとってほしいです。
普通の映画でないことは確かなので、みなさんが見てなにを思うかとても楽しみなのです。感想、できたら教えてくださいね。

2022年11月11日金曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑥:『Sobre las nubes』『Notas para una película』『1976』

  サンティアゴは最近暑くなってきたと思ったらやっぱり夜や朝は急に寒くて、なかなか落ち着かない。気持ちの振れ幅が大きいのもそのせい……?時々なんで自分はここにいるんだろうとわけもなく呆然と寂しくなるのは、外国にいるからでしょうか。日本にいても同じか。
 
 それはともかく、このごろ見て面白かった映画について記します。このごろといっても、もう1ヶ月ほど前のバルディビア映画祭の思い出。
 この映画祭で見て一番よかったのはMaria Aparicioのアルゼンチン映画『Sobre las nubes』。2時間半くらいあって見る前は長いなあと思ってたけど、見始めたら面白くて見入ってしまった。グランプリもとった。モノクロのブエノスアイレスの街中でおこる群像劇で、よくある群像劇みたいにキャラクターが交差して物語が生まれるとかではなく、労働者やブルジョアのひとりひとりの細やかな日々の機微をしっかりかつ詩的に映していた。『ウンベルトD』をもう少し軽やかにした感じの、刻々と過ぎていくけど見てると大事に思える、味わい深い時間が流れていた。カウリスマキっぽいと思って、あとでインタビューを読んだら、監督はパンデミックのあいだずっとカウリスマキを見ていたらしい。無表情で淡々としていて、暖かくユーモラスな偶然性がある。この映画は日本でも上映があったらいいな。

 あとはイグナシオ・アグエロの新作『Notas para una película』は、これまでのアグエロ映画の路線(監督自身のカメラ前への登場、突然の中断など)をふまえつつ、ラウル・ルイスやゴダール要素も満載だった。チリ南部、マプーチェの土地であるアラウカニアにはじめて鉄道を敷いた西洋人についての自伝的映画だけれど、当然一筋縄ではいかなくて、いきなり現代日本の新幹線の映像が出てきてびっくりした。あれがわかった人は会場に何人いたんだろうか。誰かの自伝を映画にすることについての反省的アプローチが隅々まであった。映画自体も面白かったけど、アグエロは舞台挨拶が天才的にうまくて、会場は大盛り上がり。上映後のQAも質問に答えているようで答えていない、けれどだれもまったく悪い気にはならないという絶妙な調子だった。

 最近だと、東京国際映画祭で上映された『1976』もシネコンで見た。カメラの焦点と音楽、美術が癖になるような独特さで、サスペンスフル。反政府の若者をブルジョア女性が介護する話だけど、その若者があまりカメラの中心にいないのがおもしろい。ねっとりしていて、でもどこか底のぬけた孤独や恐ろしさがあって、あの時代の女性の感覚をこういうふうに描けるのは新しいと思った。プロデューサーがドミンガ・ソトマジョルで、チリの女性作家はあの時代を大局的な視点ではない個人の視点からフィクションで語り直そうとしている印象がある。監督は『マチュカ』のあのミルクの女の子のイメージが強いが、役者として活動しながら米国の大学で映画制作を学んでいたみたい。

 来週はチリ最強のシネフィル映画祭らしい、フロンテラ・スール映画祭に行ってみようと思います。論文も書かなきゃ……

2022年10月15日土曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑤:バルディビア映画祭、山﨑樹一郎『やまぶき』、カルラ・シモン『アルカラス』

  サンティアゴからバスで10時間ほど南に行ったところにあるバルディビアという街の映画祭に参加している。きれいな川と深い緑、あとおいしい地ビールが有名な美しい街で、ここで住めたら素敵だろう。ビールはなにを頼めばよくわからないからおすすめをききつつかたっぱしから飲んでいるけど、どこでどれを飲んでもおいしい。バルディビア映画祭は今年で29年目で、それぞれの会場のスクリーンも大きく音もよく、プログラムも独自の視点で世界中の個性的な作品が集められている。オペレーションもスムーズでこういう映画祭が日本にも増えたらいいのに。

 オープニングセレモニーでは、バレリア・サルミエントが人民連合時代に撮って以来失われたと思われていた『色とりどりの夢』(Un sueño como de colores)が上映されて感激した。サンティアゴのストリッパーを記録したこの映画は、冒頭のカラー映像やタイトル画面から華やかで、他の革命映画とは一線を画しており、彼女たちの窮状を訴えながらも誇らしい仕事として見事に映画にしている。

 他にもメキシコのフェミニズム映画コレクティブの映画や、ラテンアメリカの短編映画コンペ、アルゼンチンのAna Poliakの特集など見ているけど、どれも水準の高い作品たちと確固とした視点の特集で、おもしろい。フェルナンド・ソラナスとも仕事をしてきたPoliakの『¡Que vivan los crotos!』は、鉄道が中心の美しいショットと証言の組み合わせがすばらしいドキュメンタリー。

 日本からは山﨑樹一郎『やまぶき』がヤングシネマ部門に入っている。バルディビアで真庭が舞台の映画を見られる!と思って映画館に行ったら、地元の中学生くらいの子たちを中心にシネコンの劇場がほぼ満席だった。
 16mmで撮られている『やまぶき』は、冒頭の採石場のザラザラした荒涼なイメージからはじまっていつのどこの映画だろうと迷うような雰囲気がずっとある。借金を背負って韓国から真庭にきた主人公をはじめ、ベトナム人労働者や、街中でのデモなど昨今の社会をいろいろ取り込んだふうにもとれるが、たやすく区分けできる善人も悪人もいないこの映画では、あからさまなメッセージや杓子定規な多様性を押し出す前のところで、彼らの生活感が群像的に重ねられていく。監督がここで生活しているということもあるのだろうが、映画が全体的に重いというか、根をはっているよう。役者もみなさんいい。
 映画全体が思っていたよりもずっと凸凹してるなと思ったのは、ジャンル映画っぽい荒唐無稽な展開と、鈴木清順みたいな夢幻的時空が、上に書いたような社会性と組み合わされるからだろうか。編集のテンポも前半と後半でちがうような気がする。けどイヤらしいかんじはせず、世界を個人のなかに折りたたむか、個人から世界を広げるために必要な表現だった。
 黒住尚生が祷キララにむけてサイレント・スタンディングの現場で掲げる「君のことが好きなんだ」(みたいなことを書いてた)矢印ボードが好きだった。会場で一番笑いが起きていたシーンであるけど、他の参加者が持ってる「9条守れ」などの文言と並んでても全然おかしくないし、いやそもそもこういうことを伝えたくてデモとかやるんだよなというのをシンプルに見た。矢印の向きがくるくる変わるのも良かった。
 あとは祷キララの「わからん」。この映画の大人、とくに男たちはよく泣き、ためになりそうだけど少し説教っぽいことを言うのだが、それらにまったくひるまず彼女が放つ一言がすがすがしい。

 あとたぶん日本でやるだろうけどどうしても見たくて見たのは、カルラ・シモンの『アルカラス』。去年のベルリン映画祭で金熊賞をとっている。前作『悲しみに、こんにちは』(どうしてこんな邦題なのか…)がよかったから楽しみにしていた。
 今回もやはり彼女の故郷のカタルーニャの農村を舞台に、農園を営む家族と、彼らの土地の危機が描かれる。カルラ・シモンの映画がすごいのは、子供たちの遊びの場面をふくめて、家族の日々の生活のシーンを、生々しい感覚(触感とか匂いとかに地域性がある)と儚さをもってカメラが捉えていることにある。いわゆる自然さとかリアリティとはちょっとちがう気もする。前作よりも今回はより大きな家族を描いているので難しかったと思うのだが、たとえば家族の食卓のシーンやベットの上でだらだらするシーンにみちているなにかは、郷愁とかをこえて、別にそんなに似てない人生を辿ってきたどこかの観客にも、そういった大切な瞬間がたしかにあるし私はそれを知っていると思わせるような力がある。それでいてこの映画のラストは社会の現実を見せつけられるもので悲しくもある。
 『やまぶき』と一緒で、こういったローカルな要素を突き詰めて時間をかけて作られた映画は見た後も当分残るものがあるし、これらの映画があちこちの映画祭でかかっているのは、そうした映画をみんな望んでいるからなのかな、などどバルディビアで考えていた。

2022年10月5日水曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記④ チリのサーカス、『空が赤い』

  9月17日から23日まで。
 9月18日はチリの独立記念日で、前後4日間ほど休みになる。年末年始と同じか、それ以上に大きなお祝いの期間で、みんな楽しそう。家族で旅行に行ったり、家でパーティーをする人が多いけど、私はとくにすることがなく、17日にオイギンス公園で開催されていたフェリア(お祭り)にひとりで行った。
 公園のなかでは巨大なステージでライブがあったり、たくさんの屋台が出ていたが、私の目当てはサーカス。一度でいいからこちらのサーカスを見たいと思っていたので、これを目指して公園に行くと、当日券を求める人で超大行列ができていた。予約しておいてよかった。
 サーカスはシンプルだった。ライオンとかバイクとか空中ブランコのような大がかりなものはないけど、進行役のピエロのような人がうまく笑いを誘いながら、男女が次々技を披露する。ときどき失敗していたのも微笑ましい。入場のときは庶民的な少しボロい服で出てきた彼らが、裏できらびやかな服に着替えてからステージに出て観客を魅了し、退場するときはまた庶民の格好に戻って、客席に手を振りながら帰っていく。オルガンの音が響いていてどこか切ない。ホドロフスキーの映画を思い出した。という話を後日知り合いのチリ人にしたら、『サンタ・サングレ』の主役、アクセル・ホドロフスキー(監督の息子)が今年9月15日に亡くなったと知らされる。ホドロフスキーの映画のなかで『サンタ・サングレ』はけして嫌いになれない作品だった。
 サーカスの途中で写真を撮ろうと携帯を構えたとき、自分がまわりから浮いているなと意識した。カメラによって自分だけその場から離れている感覚。ちょっと居心地が悪いのは撮ることに慣れていないからだろうか。大勢の人が一体となっているデモなどを撮るときも、こういう疎外感はあるのだろうか。

 最近見た映画でいいなと思ったのは、チリの若手監督Francina Carbonellのデビュー作である『空が赤い』(El cielo está rojo)。2010年にチリの刑務所でおこり多数の死傷者を出した火事について、刑務所のなかの映像や裁判記録文書、監視カメラの映像など様々なアーカイブ素材を組みあわせながら再構成していく。この火事が単なる火事ではなく、どれほど歪な社会構造によっておこされた事件であるかを、人の痛みに触れながら、かといってそれを見世物的に晒すことなく、構造に回収させてしまうのでなく、つねにそこにあった恐怖とひとりひとりの生命と対話しながら映像にしていく過程がよい。完成まで相当な時間をかけたらしいが、これがデビュー作かと驚くほど重厚な作品だった。前に山形国際ドキュメンタリー映画祭で賞をとったチリの映画『十字架』もそうであるけど、冷たい記録的なアーカイブ素材からどのように映画をひきだしてくるかについて、チリのドキュメンタリーは相当進んでいる。乱暴にまとめてしまうが、私が見てきた日本のドキュメンタリーはセルフ・ドキュメンタリー、またはシネマ・ヴェリテ的な臨場感や素朴さに軸を置いている作品が多すぎて、綿密な調査をもとにした、ある種フィクション的な強い構成・語りをもったドキュメンタリーが少ない気がする。テロップの出し方や被写体との距離、音と映像の分離・接合など、ドキュメンタリーの手法はこちらではかなり多様なので、学んできたいと思う。