最初のほうのカットでアウステルリッツを訪れた観光客がたむろしてガヤガヤ話しているのをみたとき、こんなにたくさんの人の動きや声をきちんと捉えることはできるだろうかと少し圧倒されたのを覚えている。次から次へとやってくる観光客が思い思いにしゃべったり、行動している。このときの録音は、彼らの話している言葉そのものよりも、全体的なガヤガヤとした乱雑な音の流れを強調していて、これを90分ずっと知覚していくのはなかなか大変だぞと思った。
しかし、やがて彼らが収容所の跡地に足を踏み入れ観光をはじめると、かれらの声や動作の複雑さはだんだんと統一され、ひとまとまりの「群衆」を彼らは形成していく。たぶんこの映画を見た人の多くが指摘し、いやな気分にもなるだろう、観光客が自撮りをしたりけらけら笑ったりする、ある種の軽薄な態度も目につくが、そういうふうにたいして真剣にホロコーストの記憶に向き合っているようには見えない彼らでさえも、なにかに操られるようにしてぞろぞろ列をなして収容所を巡っていく光景はかなり異様だ。まるでなにかの儀式のように、膨大な数の人々が決まりきった手順とルートを守って、一つの場で動作を反復させている。この儀式のルールから外れる人たちは作中にはあまり見当たらなかった。ある場面で子供が母親に「そっちへ行っちゃだめでしょ」と言われていたのが印象に残っている。
歴史を学ぶ態度がなっていないといって彼ら観光客を批判することは簡単だろう。しかし、それだけでは済まされないような状況をこの映画は記録している。いったいなにがかれらを動かしているのか。この儀礼的な集団を形成させているものはなんなのか。そう思いながら画面上をすぎゆく人々を見つめていて感じたのは、記憶という責務に示す彼らの退屈と疲弊だった。神妙な顔をしながらアウステルリッツの地を進む彼らが時折おどけたりはしゃいだりするのは、ホロコーストという人類の悪を突きつけられたときの一種の防衛機制だろう。ガイドたちの説明は理路整然としていて、この地でなにがおこったかを「第三者」の目線からしっかり解説してくれるが、その早口の解説を聞く観光客は、そこで受け取ってしまったものをどう処理すればよいのか困っているように見えた。情報として処理してしまえないなにかを彼らは感じ取っているのではないか。でも、その感覚をどうすればよいのかわからないので、みなで似通った反応をしてやりすごそうとしている。だから、この映画の中盤で、周囲の音を鎮まらせてカメラが捉える、画面外のある対象を見つめる人たちの真剣にみえる顔と、ツアー途中で照れたように笑う人たちの顔は表裏一体のもので、退屈になってしまいそうな時間をメリハリつけてやりすごすための一連の身振りなのだ。過去のすさまじい記憶をすんなりと受け取ってしまえること、またはそれを退屈に過ごしてしまえることに気づいて、当時から遠く離れた時点にいる彼らはそれをどう扱えばいいのかわからない。それでも、記憶を辿るルートは非の打ち所がなく定められていて、進むしかない。そのうち彼らは疲弊して、ゾンビのごとく行進する集団になっていく。
これはポール・リクールがいうような記憶の義務なのかもしれない。みなで記憶しなければならない、考えなければならないという倫理的な義務感が先走ってしまって、どう記憶すればよいのか、なぜ記憶しなければならないのかを考えるひまがない。この義務感が記憶をめぐる群衆=観光客を形成させる動力源のひとつだろう。または、そういった義務感や使命感と対にある、「なんとなく来た」という気まぐれな感覚もその地に人の足を運ばせるきっかけになる。そうした義務感と気まぐれのあいだに立って、第三者なりに記憶と向き合う姿勢こそがいま問われているはずだが、その答えのありかをこの映画は示さない。この映画に出てくる人たちがほんとうのところなにを考えているかはわからないが、たとえばもの思いにふける人物を長回しで映すなりして、模範的な記憶の考え方を提示することをこの映画は選ばなかった。そのかわりに、この地点からはじめる以外にはないんだということだけを強く映している。想像を絶するほどの過酷な記憶が、当たり前のように整理され、受け取られていくこと。その状況にみなが知らず知らずのうちに退屈し、疲弊していること。世界中のあらゆる場所でおこっている歴史認識の論争の裏にはこんな事態が進行している。これは歴史や記憶の風化というよりも慣れの問題だろう。ホロコーストの記憶の問題は、表象の適切さや不可能性といったテーマをこえて、そうした局面に入っている。