2024年9月5日木曜日

太田達成『石がある』

 スクリーンで見てから1ヶ月くらい経つが時々この映画を思い出す。見ている間はけっこうハラハラしていた。映画の先行きが予想できないのもあるが、主役のふたりが過ごす一見楽しそうな無為の時間にはりつく危うさが気になっていた。仕事で来ているらしい女性(小川あん)は水切り遊びをする男性(加納土)と遭遇するまでに老人と子供たちと関わる。その都度のやり取りから、慎重だが流されやすい彼女の人となりがわかる。老人の車に入るのも子供たちのサッカーに混ざるのも若干迷うところだが彼女は拒まない。なんでも受け入れるタイプなのだと思う。
 土くん演ずる男性は大きな体に石のような色の服を着ていて、その存在の密度や重力が印象的。その重さに反して運動はかなり得意そうで、動きに迷いがあまりない。動作が力強くまっすぐで、水面を跳ねる石のようにすばやく画面内外で水溜りを飛び越えたり川を渡る。この川を渡る場面、そんなに浅そうには見えない川に腰まで浸かって女性のほうへずんずん向かってくる様子はかなり衝撃的で、笑っていいのかもしれないけど、観客は女性側からそれを見ていることもあって、その尋常ではない様子はちょっと怖い。その後も彼はとくに目的もなく女性の後をずっと追っていくので不安になる。
 彼らは見た目の性別も身のこなしも異なっていて、だからたいして乗り気ではなさそうな女性に男性が理由なくついていくのに大丈夫か……?という気持ちになる(そうやってひどいめにあう映画をたくさん見てきた)が、そうした社会的な慣習や属性から離れたところで関係ができていく様子を映そうとしたのが『石がある』なのだろう。男性が家に帰って書く日記で女性のことを「人」と呼ぶように、この映画には固有名詞や人物の背景描写がほとんどない。公園ではじめて知り合って遊ぶ子どもたちが結ぶような関係を、石をはじめとするいろいろなものの即物性をまじえて抽象的になりすぎずに撮っている。
 彼らが石遊びや枝遊びをして戯れる無垢なヴァカンス的時間そのものよりも、そうした時間が終わり、急に我にかえってひとりになりながらも、さきほどまでの時間を反芻していく過程が面白かった。子どもなら家に帰らなくてはならない夕方と夜のあいだにクロースアップで映される2人の顔、小川さんの険しい顔や土くんのなんともいえない気まずい顔が生々しい。この場面のあとから、それまで社会的にはあまり理解できない行動をとってきた男性の役割が女性のほうに転移していくのは意外だった。男性は家に帰って生活の匂いが漂ってくるが、そのへんをさまよう彼女のほうはどんどん大胆になるというか自由に逸脱していく。そこに犬がいたから散歩しましたみたいに振る舞う小川さんは堂々としている。ああこの人のことよくわかってなかったかもしれないと感じはじめる。
 普通に社会で暮らしているとまっさらに人と出会うことは難しいから、社会的な理から少しでも外れた人には身構えるし、そういう関係を見ていると危うく感じる。『石がある』もはじめはそういう気分から逃れられなかったが、最後のほう、ふたりが再び束の間交差する場面を見ると、人の危うさやわからなさ、掴みがたさを別様に眺められる気もしてくる。石が川辺に無数にあるように人は世界にいて、気になる石を拾うように人と人は偶然出会う。同じ石でも水と接する面や持ち方投げ方を変えれば沈んだり跳ねたり動きが変わるが、人も見方を変えればちがう面に気づく。出会いの偶然というのは最初の一点で凝固せずに、もっと幅広い時間のなかで変容していく。そういう人やものの潜在性や可能性みたいなものがまわりに茫漠としてあるのだろうと試写の帰りの電車で考えていた。これまでに出会って覚えている人やものや時間、それからもう思い出せない無数のそれらが急に思い出される。『石がある』は異物のような映画で、見てから時間が経ってもあまり飲み込めていない。怖かったり、心許なかったり、ちょっと嬉しかったり、見ているときや見終わったあとでいろいろな感情や余韻がまざりだす映画だった。

2024年5月5日日曜日

ビクトル・エリセ『瞳をとじて』

 先日、鵠沼海岸のシネコヤでビクトル・エリセの映画についてお話しする機会があった。『ミツバチのささやき』をシネ・ヴィヴァン六本木で見た往年のファンや、『エル・スール』の冒頭が好きでたまらないんです!と熱弁する小学5年生(すごい……)といったさまざまな参加者とともに、あっというまに時間が過ぎた。この会のために準備していたけど時間がなくてできなかった話や、みなさんとお話しするなかで気づいたことがいくつかあるので、当日話したことも含めて『瞳をとじて』について文章を残しておきたい。 

 『瞳をとじて』に対して私を含む多くの観客は、『ミツバチのささやき』や『エル・スール』の世界をなんとなく勝手に期待していたと思う。作中の家に差して特異な時空を立ち上げる強烈な光線、目の前に広がる大地や並木道を駆ける少女たちを捉えるカメラの運動、スペイン内戦という過酷な過去を抱えた沈黙。これらに加えてエリセが日本に紹介された当時のミニシアターブームの記憶や、寡作なフィルモグラフィともあいまって、エリセの映画は神秘的な雰囲気を纏い、それぞれの観客自身のごく親密な記憶と結びついてきた(『瞳をとじて』の公開にあわせて、Twitterには「#わたしとエリセ」というハッシュタグがあって、各々がエリセの映画とどう出会ったかが語られていた)。 
 けれどそうしたフィルム時代のエリセの映画に漂う「重さ」や「神聖さ」は、『瞳をとじて』にはあまり感じない。パキパキのデジタル映像で大部分が撮影されているこの映画では、これまでのように記憶や過去が重要なテーマとして取り上げられるが、それらはとっくに手の届かないところに過ぎ去ったものとして、ほぼ諦めがついたような態度で語られる。この映画で印象的なのは、人と人が出会って話をする、それを切り返しでひたすら撮っている、ということ。冒頭の劇中映画から、とにかく1対1でずっと話をしている。それをカメラは執拗なまでの切り返しーー時々異様なクロースアップがあるーーで追っていく。失踪した映画俳優についての物語なので、話されているのは大体昔の話だ。ひとつひとつのシーンが終わるたびに瞳をとじるように画面はフェードアウトしていき、浮かび上がった時間は再び遠い暗闇に沈んでいく。 
 かつてのエリセの映画の少女たちは、父の記憶、親世代のスペインの記憶を、意識的かつ無意識的に追い求めていた。そこにあった少女の視線を介したまだ暖かみの残るやさしい記憶の手触りよりも、この映画には父たち、男たちの乾いた視点を感じる。エリセの映画でこれまで最も神秘化されて象徴化されてきたのは父親たちだったのかもしれないーー強権的なフランコ独裁の象徴として、または破れた共和国派の男たちの影として。『瞳をとじて』では、その父親たちーーミゲルとフリオーーがこれまでの語らずにして語る意味深な態度を捨てて、裸で過去と向き合おうとしている。 
 そのときにまず浮き彫りになるのは、彼らの孤独、または居場所のなさだろう。主人公のミゲルは息子を亡くしていて、あまり人付き合いがよさそうには見えないし、映画監督としても作家としても長らく成果を発表できていない。彼は劇中で定まった場所にとどまらず、つねにあちこちを移動している。私がこの映画で一番好きな場面はミゲルが昔の恋人ロラと再会するところで、ここでの二人の会話が忘れ難い。ひとしきり昔の話をしたあとに、ミゲルは、かつて探していた「ほんとうの居場所」は見つかったかとロラにきく。彼女は「いいえ、見つからなかった。あなたは?」と返して、ミゲルは「僕も見つからなかった」と答える。ロラはアメリカ人のパートナーと結婚してその後離婚し、今はアルゼンチンに暮らしている。彼らはほんとうの居場所や確固たるアイデンディディを見つけられずに彷徨っている。
 フリオこそアイデンティティが不確かな人物だろう。彼は記憶を喪失しているし、いまはフリオではなくガルデル(タンゴ歌手の巨匠の名前)と呼ばれている。そういえばミゲルは普段暮らしている海辺のコミュニティではマイクと呼ばれているし、そこに住む彼の友人は本名よりも「デカ足」のあだ名を好んでいる。彼らの名前はひとつではなくていくつかあって、それはアイデンティティが複数あることを示している。 
 この映画に出てくるあらゆるものたちが「居場所のなさ」を引き受けている。劇中映画で娘を探すよう依頼するミスター・レヴィは自分を「セファルディ」だというが、それは1492年のレコンキスタ以降、スペインを追放されてアフリカやアジアへ散らばったディアスポラのユダヤ人たちのことだ。そうした流浪の民であるセファルディの父親が、かつて上海で別れた娘と再会を望むというのだから国籍的にはさらに入り組んでいる。ユダヤ人でいうと、主人公のフリオが作中、海辺の家で翻訳している本は、Michał Waszyńskiという実在のユダヤ系映画監督・プロデューサーについての本で、この人物はウクライナに生まれたのち、第二次大戦の前にポーランドでカルト的な映画を撮り、その後イタリアやスペインを転々としながら監督をしたりアンソニー・マンの映画のプロデューサーをしたりしている。このように『瞳をとじて』に集う人物たちはみな定まったところにいることができなくて、「ほんとうの居場所」を探している。 
 なんらかの自己を喪失して生きてきた「亡命者たち」の輪のなかには、エリセ自身もいる。前田英樹が指摘したように、エリセが撮ってきた長編映画(『ミツバチ』『エル・スール』『マルメロの陽光』)は「どれもスーパー・インポーズによる時間の特定化」(「唯一の時間について」『映画=イマージュの秘蹟』p.229)から始まる。これは『瞳をとじて』でも例外ではない。今作の場合は、映画の冒頭の「1947年 フランス郊外 トリスト・ル・ロワ」という劇中映画のインポーズがあって、その劇中映画の顛末(主役の失踪、映画の挫折)がエリセ自身の声によるヴォイスオーヴァーによって語られた後、現代のパートで「2012年秋 マドリード」というインポーズが再び出る。2012年に現代の舞台を設定した理由についてエリセは、「登場人物たちの人生がフランコ時代と何らかの関わりがあったことを示すため」(Caimán Cuadernos de Cine, 2023.09, p.14)と言っている。『瞳をとじて』には、1947年から2012年にかけて宙吊りにされたフィクション映画の時間と現実のスペインの歴史、そしてエリセ自身の人生が重なっているといえるだろうか。パンフレットやいろいろな記事(これが参考になる:https://www.thecinema.jp/post/article_letters/hJY9i)で書かれているとおり、『瞳をとじて』には今までのエリセが送り出してきた映画と、実現できなかった映画の企画が何重にも折り重なっていて、絵画の下描きのようにうっすらと映画の背後に透けて見える。これまでのエリセの映画では、「2つの歴史」(スペイン現代史と映画史)が密接に絡まりながら物語を支えていたと思うのだが、『瞳をとじて』にはそれに加えてエリセの個人的な人生・映画史という3つ目の歴史がはっきりとあらわれている。映画後半の誰もが唖然とする「Soy Ana」(「私はアナよ」)というセリフに顕著だけど、こういうふうに映画を撮れる人はいまの世界でエリセしかいないんじゃないだろうか。 
 スペインという周縁で孤独に映画史と対話しながら映画を作ってきたエリセは、自らを「内的な亡命者」と呼んでいる。詳しくはエリセ研究者の三宅隆司さんの研究(『シネアスタ・ビクトル・エリセ ――秘密の話し相手との対話』)を参考にしてほしいけど、「内的な亡命者」とは、国外に出ずとも国内で居場所を見つけられず、実人生においても社会においても孤立を感じている人を指す。エリセは最近になって行われたペドロ・コスタやパウロ・ブランコとの対談(https://dokushojin.net/dokushojin/411/)で、ブニュエルやオリヴェイラの境遇を語りながら、自分の世代はスペインの社会や歴史に主体的に働きかけられず、自らを孤児のように感じているという。ここでエリセがいう孤独とは、スペインの社会的・歴史的なものであり、同時に映画文化や映画史における立場でもある。この対談だけでなく『マルメロの陽光』以降さまざまなところでエリセが発言しているように、フィルムの時代が終わり誰もがデジタルで映画を撮り、それをテレビやパソコン、スマートフォンで見るようになって、かつて映画館で時と場を共有していた観客の共同体は消滅した。エリセはそうしたデジタル映画を「オーディオ・ヴィジュアル」と呼んで、かつての「映画」とは区別している。コスタとの対談でエリセは「自分の共同体を見つけられていない人々」について語っているが、昨今の映画文化における共同体の喪失や孤独についてエリセは『瞳をとじて』で強く意識している。 
 だからこそ、記憶をなくしたフリオが自らの過去を思い出すことができるのかという映画終盤の物語の争点は、失われた映画文化や共同体、つまりかつてあったかもしれない「ほんとうの居場所」を取り戻すことができるのかという大きな問いとつながってくる。私が感動したのは、この問いに対して『瞳をとじて』が、過去の記憶や共同体をそのままに復元したり懐かしんではいないことだった。フリオがいる病院で医者のベナビデスがミゲルにかける言葉が大事だ。ベナビデスは、記憶はたしかに大切だが、人は記憶だけでできてはいない、感情(sentimiento)や感性(sensibilidad)が不可欠であり、文学や映画はそれらを喚起し、人の魂を目覚めさせることができるという。この言葉を聞いたからこそ、ミゲルは終盤で未完の映画を見せることによって、フリオの魂を呼び覚まそうとする。ここでは映画がかつての記憶をそのまま取り戻せるかというよりも、現在のフリオを変えることができるか、という点に懸けられている。さらにフリオだけでなく、ここではミゲルの現在も変わろうとしている。映画館の所定の座席に関係者たちを座らせようとステージから指示する彼の姿は、さながら演出を行う映画監督である。映画の終盤になって明らかに彼は生き生きとしている。 
 この映画の結末については、フリオは結局自らを思い出したのかそうでないのかという点で議論されると思うけれど、私はどちらでもよいと思う。重要なのは、記憶そのものではなくて、それを思い浮かべたいと思う今ここの感情や意志であり、フリオが瞳をとじている時点で、その願いは達成されているからだ。かつて未完に終わった映画は、たしかにフリオを突き動かしている。「思い出す」という過去と現在のはざまをさまよう行為を映画がたしかに導いている。思えば、ミゲルとロラが会う場面、かつて好きだった歌を唄ってくれと頼まれたロラは、一度ピアノを弾き始めるもそれは間違いで、次の曲でようやくほんとうの曲と出会うことができる。ここで間違えてしまうのはコミカルだが、そのぶん思い出そうとするロラの所作に注目することができる。彼が好きだった唄はなんだったろうかと暗い記憶のなかをたぐりよせるように思考をめぐらせること、それを唄ってふたりで聴くこと。ふたりの過去そのものよりも、忘れてしまいそうになりながらも思い出そうとしているいまここのふたりに私は心を動かされた。『瞳をとじて』は単なる回想の映画ではなくて、もう二度と立ち戻ることのできない過去を、現在において語り直し、作り直していく映画なのだと思う。 
 もう長く書いてしまったのだけれど、最後にひとつだけ。『瞳をとじて』の「思い出す」行為で大事なのは、それをひとりではなくて誰かと共に行おうとしていることではないだろうか。『エル・スール』で父親のことを想い回想の主体となっているのはエストレーリャだった。映画館で映画を見たのは父親アグスティンだけだった。『ミツバチのささやき』で映画に突き動かされたのはアナだけだった。『瞳をとじて』の劇中劇では、ほんとうの父親レヴィが死んだあと、代理の父親のようにフリオが少女に寄り添い、ともにこちら側を見つめる。それを客席にいるフリオは娘のアナと一緒に見つめる。かつてはばらばらで一方的だった父と娘の想起の関係や映画体験が、ここでは共同的に再演されている。そして、それを見つめて受け止めてくれるミゲルやほかの観客がいる。エリセや『瞳をとじて』の人々が探していた「ほんとうの居場所」はここに一瞬成立したと思った。それはどこかに具体的に恒久的に存在するものではなくて、偶然その場に集って映画に突き動かされた人たちの間に生じる刹那的な共同体のようなものなのかもしれない。『瞳をとじて』に映るエリセのノスタルジーや映画愛、自己オマージュを時代錯誤だったり閉鎖的にみる人はいるだろうし、それはたしかにそうなのかもしれないとも思う。けれども私は、かつての映画の終わりを深刻すぎるほどに受け止めたエリセが、それでもなお今映画を撮って、映画からこそ生まれる感情や感性、経験、記憶を分かち合うための共同体の可能性を示してくれたことの意味をずっと考えている。『瞳をとじて』は集大成のような映画だけれど、決してずっと後ろ向きではなくて、これから先を感じさせてくれる映画だった。それは映画の始めと最後に置かれた、過去を見る顔と未来を見る顔があわさったヤヌス像にもあらわれている。これからのエリセの映画はきっとあるだろうし、それが楽しみだ。

2023年7月9日日曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑩:「姉妹の力」ー美味しいマプーチェ料理

  ひとりの学生としてなかなか懐具合も厳しいところ、料理がビビッ!と「美味しい」と感じるレストランにサンティアゴでめぐりあうことはなかなか難しいけど、この前行ったマプーチェ料理のお店はすばらしかった。NEWEN LAMNGEN、マプーチェ語で「姉妹の力」という名前のこのカフェ・レストランは、ティルソ・デ・モリーナ市場という小さな市場の2階にひっそりある。サンティアゴには『地球の歩き方』にも載っていて観光客が多い中央市場と、チリ人でごったがえしている巨大なベガ市場という二つの有名な市場があるが、その間にある小さな市場にある。

 新鮮な野菜のサラダ、揚げたてのソパ・イ・ピージャ(揚げパン)とメルケン入りサルサソース、分厚い骨つき豚肉をピリ辛ソースでオーブンでじっくり焼いたものとたっぷりのポテト、カスエラ(大きな牛肉やじゃがいも、かぼちゃ、とうもろこしがごろごろ入ってるチリの名物スープ)。ぜんぶ心のこもった味でほろほろと美味しかった。店主の女性も優しくていい人だったけど、ウェブ記事を読むと自身のルーツのマプーチェの文化や料理を伝えようと、協働的なかたちでお店を運営し、文化活動も行なっているみたい。

 サンティアゴに来たときはぜひ行ってみてください。次に行くときは、記事の写真にも載ってるプルマイ(チロエ地方の料理で、蒸した魚介や野菜や肉をスープみたいにしたものらしい)を食べてみようと思う。

 

2023年7月1日土曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑨:近況、「私たちは痕跡だ」

  気づいたら最後にブログを更新したのが1月になっていた。もう7月なので、サンティアゴにいられるのもあと2ヶ月もない。博士論文を書くための調査に来ていて、だいたいの方向性と書く内容が固まったのはよいけど、ここのところあまり調査そのものは進んでない気がする。6月は高熱が一週間ほど続いて(インフルエンザらしかった)、そのあと大雨でうちが停電しているなかホテルに駆け込んで日本との夜通しのzoom会議を二日続けてやったらまた熱が出たりしてかなりきつかったが、ここからは少し頭を切り替えて、できるだけ本を読んだり映画を見たり、人と会っていきたい。

 これまで何度も書いているけれど今年はクーデターから50年目なので、あちこちでそれにちなんだイベントが行われている。この前、6月29日は50年前のクーデター未遂についての上映会がチリのシネマテークで行われた。『チリの闘い』を見たことがある人なら覚えていると思うが、第2部と第3部で映される、カメラマンのレオナルド・ヘンリクセンが自らの死を記録した映像をめぐる証言ドキュメンタリーと、当時のニュース映画の上映があった。カメラに向けて兵士が発砲し、やがて撮影者の身体とともに崩れ落ちていくあの映像は一度見たら忘れられない。イベントでは、当時の現場にたまたま居合わせた録音技師と、一連の事件について当時ニュース映画を作った人のお話があった。特に後者のニュース映画はよくできていて、あまり準備する時間もなかったろうにさまざまな角度からの記録映像がつなぎあわされ、かつ直線的な編集ではなく軍部を批判するようなコラージュ(ナチスの映像をつなげたり)もきかせている。使われている音楽や編集の仕方が、あきらかにサンティアゴ・アルバレスのニューズリールを意識していて、やはり彼の影響は大きかったのだと思った。それにもましてすごかったのは、上映後のお話でニュース映画の監督が当時の撮影状況をたいへんスリリングに詳細に話していたことだった。どこに立っていたか、誰からカメラを渡されたか、といった一刻一刻を細かく早口で述べていって、こんなに覚えていられるのかと驚いた。

 ヘンリクセンの映像をよく見ると、彼に向かって撃った兵士は3人いた。誰の弾が当たったのかはわからないが、ヘンリクセンが一人目が撃ったあとも記録を続けようとしたことはたしかだ。兵士全員、撃つまでの動作がスムーズというか「とりあえず撃っとくか」みたいにさりげなくて、それが怖かった。

 GAMという大きな演劇、アートスペース(https://gam.cl/)はクーデター50年目の一連の取り組みのキャッチコピーを「私たちは痕跡だ」(Somos huellas)としている。いい言葉だと思った。

2023年1月24日火曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑧:引き継がれるアリシア・ベガの映画教室

  『にわのすなば』の公開が始まろうとする12月のはじめに、ペルーとの国境沿いにあるアリカという町に1週間ほど滞在していた。首都サンティアゴとは全然ちがう、砂に覆われた風景が印象的なこの町に行ったのは、チリで子ども向けの映画教室を30年以上続けたアリシア・ベガのメソッドを学ぶワークショップに参加するためだった。アリシア・ベガが主宰する映画教室自体は2015年を最後に行われていないが、2016年にアリシア・ベガ文化財団という組織が設立され、アリシアが考案した映画の教え方を共有したり、過去の子どもたちの作品の展示会を開いている。2022年からは、サンティアゴやバルディビア、チロエ、アリカといった国内各地で、全四日間の日程で講師向けのワークショップを開いている。 
 私はこの子ども映画教室について調査していて、とある上映会でこの財団のメンバーの二人と知り合ったことがきっかけで、このワークショップに参加した。アリカはサンティアゴから飛行機で3時間ほどと遠いが、この機会を逃したらもう次はないだろうと思って応募したら運良く選考に通ったので参加できることになった。
 このワークショップは参加者が子どもの立場になって実際にアリシアが行ってきた内容を体験することが主な内容となる。みんなで机を囲んで、自分の手でソーマトローポやゾートローポを作り、それで遊ぶ。今までやったことがなかったので分からなかったが、実際に自分が描いた絵が自分の手によって動きはじめるのを見るのはとても楽しい。子どもだろうが大人だろうが関係なく、ものが動くだけで人は感動するのだとわかった。私は小さいころから絵を描くのが下手で、図工や美術の時間でまわりの人がすいすい上手にアイデアを具現化していくのを見ると落ち込んでいたのだけれど、今回のワークショップでは下手なりに自分でイメージを作ってそれを動かす喜びを知った。
 このように、アリシアの映画教室は映画の起源である、イメージが動きだす仕組みから学んで、徐々にカメラのアングルやショットのサイズ、シーンやシーケンスの区切りなどを学んでいく。けれどこの教室の主な目的は、プロの映画人を育てることでも、映画の専門的な知識を教えてシネフィルを育成することでもない。子どもたちが映画を通して自己を表現し、他者と触れ合い、世界を知ることで、自分なりの楽しみを見出すことが目指されている。その点で、これまでアリシアが教室を行ってきたのは、チリのなかでも貧しい生活をおくっていく子どもたちのためであったことは忘れてはいけない。日々の生活もままならないなかで映画はなにができるのかという根本的な問いがこの教室にはつねにある。アリシアにとっての映画とは、今ある自分の世界を表現しながらも、ここにある現実とは別の世界を映すものでもある。アリシアの活動はアート・アクティヴィズムだと言っていた講師の言葉はそのとおりだと思う。この教室は子どもたちにとって「もうひとつの居場所」であるべきであり、そこでは子どもたちを尊重することが大事だ。独裁政権下ではじめられたこの取り組みは、いまだ格差が根強く残る社会のなかで光を失っていない。
 アリカのワークショップに参加した人たちも、こうした意識を強くもっていた。参加者の多くはこの地域の学校の先生で、近年の格差の問題や増加する移民への教育といったテーマについて真剣に悩んでいる人が多かった。アリカはもともとペルーやボリビアとチリの文化が混ざり合ったような風土があるところだけれど、近年はベネズエラやコロンビアの移民がかなり増えている。そうした環境で、どのように教育を多様な層に届けられるのかという観点は、ワークショップのなかでもよく議論されていた。参加者の大半は女性で、子ども連れで参加している人も多かった。彼女たちと同じ机で作業して各々の作品を褒め合い、映画の感想を共有するのは楽しかった。とくにチャップリンを皆で笑いながら見る感動というのは普遍的なものだと実感した。
 自分がもてなされている、受け入れられているという感覚がたしかにあったことは、この財団のワークショップのすばらしさだと思う。参加費はすべて無料で、朝集合したあと、まずはみんなで朝食を食べることからはじまり、途中の昼休憩にも美味しい食事と飲み物が用意され、全員でテーブルを囲む。お金をなるべくかけないようになるべく手作りの飾りや材料でワークショップが行われていたこともよかった。本来の映画教室は全部で15日にわたるらしいが、今回はそれを濃縮して4日間、それでも最後はみんなと別れるのが惜しかった。最終日には全員の作品の展覧会と修了式、そして去年アリシアが刊行した全三巻の映画教室のメソッド本がプレゼントされた。
 この経験をもとに日本でも同じようなことができないだろうかと考えているし、機会があればこの本を翻訳したいと思う。あと、この教室にある「楽しさ」については、今後もっと考えていきたいと思った。映画とわたしたちの生がつながり、それぞれを生かしあうような喜び。気取らず、驕らず、映画を成すひとつひとつの要素に触れることの楽しみ。

2022年12月9日金曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑦:いろいろ近況、『にわのすなば GARDEN SANDBOX』見てね!

  先月から現在まで、アルゼンチンのメンドーサ、チリのコンセプシオン、アリカ、ペルーのタクナといろいろなところを移動してきた。長距離バスに乗りまくってさすがに疲れて少し体調を崩したけれど、今は元気になってきた。映画祭にいくつか行って、たしかに楽しいんだけど、ちょっともうお腹いっぱいに感じるときもある。ひたすら映画を見るのは好きなのだが、新しい人に会いつづけるのがたまにきつい。研究調査で来てるのだからグイグイ現地の映画コミュニティに入るべきだが、元来私はあまり社交的な性格ではなく、仲のよさような映画人たちのグループにひとりぽつんと入るのはなかなかエネルギーを使う。作品を見た後すぐにその作家に会うのも超緊張する。映画祭といってもチリの映画コミュニティはせまいのでみんな顔見知りのようなかんじで、上映前も後もそこかしこでグループができている。みんな親切だから嬉しいのだけど、もっと話せるようになりたい。

 今はペルーとの国境近くにある町アリカにいて、アリシア・ベガ財団がやっている映画教室のワークショップに参加している。また次回のブログで詳しく書くけど、これがすごく楽しい。『100人の子供たちが列車を待っている』のアリシア・ベガの授業を、講師のもとで自分たちで体験しながら、自分たちで教室を開く「先生」になるためのワークショップ。全4回で今週末で終わりなのだが、アリシア・ベガの表面的なメソッドだけでなく、なぜ映画で教育なのか、なぜチリでこれが生まれたのか、よくわかった。もう一度ゼロから映画と向き合いたいと思えるような体験。終わったらまた感想を書く。

 明日は『にわのすなば GARDEN SANDBOX』がポレポレ東中野で公開する。できるなら日本に帰ってスタッフやキャストのみんなと一緒にポレポレのスクリーンで見たかったけれど遠いから残念、zoomで我慢。初号試写を渋谷の光塾で見た時は、終始足がガクガク震えていたのを覚えている。とにかく見るのが怖かった……けど見てみると楽しかった。もう撮影から1年経って周りもだいぶ変わってしまった。早い。でも、『にわのすなば』は何度見ても慣れないというか飽きないというか、懐かしいという感じでもないし、見るたびにうずうずしながら色々な感情になる。自分で出演したので客観的には見れないけれど、パンフレットになるキノコジン2号にも書かせてもらった。この人たちと一緒に書けたらいいなと思っていた執筆者ばかりのすごい読み物のはずなので手にとってほしいです。
普通の映画でないことは確かなので、みなさんが見てなにを思うかとても楽しみなのです。感想、できたら教えてくださいね。

2022年11月11日金曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑥:『Sobre las nubes』『Notas para una película』『1976』

  サンティアゴは最近暑くなってきたと思ったらやっぱり夜や朝は急に寒くて、なかなか落ち着かない。気持ちの振れ幅が大きいのもそのせい……?時々なんで自分はここにいるんだろうとわけもなく呆然と寂しくなるのは、外国にいるからでしょうか。日本にいても同じか。
 
 それはともかく、このごろ見て面白かった映画について記します。このごろといっても、もう1ヶ月ほど前のバルディビア映画祭の思い出。
 この映画祭で見て一番よかったのはMaria Aparicioのアルゼンチン映画『Sobre las nubes』。2時間半くらいあって見る前は長いなあと思ってたけど、見始めたら面白くて見入ってしまった。グランプリもとった。モノクロのブエノスアイレスの街中でおこる群像劇で、よくある群像劇みたいにキャラクターが交差して物語が生まれるとかではなく、労働者やブルジョアのひとりひとりの細やかな日々の機微をしっかりかつ詩的に映していた。『ウンベルトD』をもう少し軽やかにした感じの、刻々と過ぎていくけど見てると大事に思える、味わい深い時間が流れていた。カウリスマキっぽいと思って、あとでインタビューを読んだら、監督はパンデミックのあいだずっとカウリスマキを見ていたらしい。無表情で淡々としていて、暖かくユーモラスな偶然性がある。この映画は日本でも上映があったらいいな。

 あとはイグナシオ・アグエロの新作『Notas para una película』は、これまでのアグエロ映画の路線(監督自身のカメラ前への登場、突然の中断など)をふまえつつ、ラウル・ルイスやゴダール要素も満載だった。チリ南部、マプーチェの土地であるアラウカニアにはじめて鉄道を敷いた西洋人についての自伝的映画だけれど、当然一筋縄ではいかなくて、いきなり現代日本の新幹線の映像が出てきてびっくりした。あれがわかった人は会場に何人いたんだろうか。誰かの自伝を映画にすることについての反省的アプローチが隅々まであった。映画自体も面白かったけど、アグエロは舞台挨拶が天才的にうまくて、会場は大盛り上がり。上映後のQAも質問に答えているようで答えていない、けれどだれもまったく悪い気にはならないという絶妙な調子だった。

 最近だと、東京国際映画祭で上映された『1976』もシネコンで見た。カメラの焦点と音楽、美術が癖になるような独特さで、サスペンスフル。反政府の若者をブルジョア女性が介護する話だけど、その若者があまりカメラの中心にいないのがおもしろい。ねっとりしていて、でもどこか底のぬけた孤独や恐ろしさがあって、あの時代の女性の感覚をこういうふうに描けるのは新しいと思った。プロデューサーがドミンガ・ソトマジョルで、チリの女性作家はあの時代を大局的な視点ではない個人の視点からフィクションで語り直そうとしている印象がある。監督は『マチュカ』のあのミルクの女の子のイメージが強いが、役者として活動しながら米国の大学で映画制作を学んでいたみたい。

 来週はチリ最強のシネフィル映画祭らしい、フロンテラ・スール映画祭に行ってみようと思います。論文も書かなきゃ……