2017年5月8日月曜日

家は泣いている

グスタボ・フォンタン『ラ・カサ』(2012年/アルゼンチン)
 
 映画はあらゆるものを平等に(少なくともその画面内においては)映すので、人間以外のこの世界にあるものの存在感を、今一度私たちに思い出させる。この『ラ・カサ』で観客が目撃するのは、壊れゆくある一軒家が最後に残す断末魔であり、崩れ落ちるレンガのひとつひとつに宿る物語だ。事物をこれほどまでに劇的に、人間との関わりをもって捉えた作品は稀有である。

前半と後半で、映画の様相は大きく異なる。前半は、家の屋内をカメラは滑らかに動き、幻想的な映像をもって、その家に住んでいた家族の記憶を綴る。常にぼやけた映像の流れの中で、さながら幽霊たちが集うように、おぼろげに過去の人間の営みが描かれるのだが、それはかなり感傷的であった。ここでもフォンタンの映画特有の音の素晴らしさを指摘したい。ひそひそとささやくような家族の声に、おもちゃが触れ合ってかすれる音など、様々な音が鮮明に響く。

 屋内の親密な前半からうってかわって、後半は屋外から、その家の崩壊をただまじまじとカメラは捉える。ブルドーザーが壁を砕き、レンガを押しのける。そこには一片の切なさもなく、ひたすらに無感情に家は壊されていく。前半の家族の記憶が頭に焼き付いている観客からすれば、それはもう恐ろしい光景である。人は普段、自分たちが手にするものに無頓着であり、なくなってはじめてその手触りを懐かしげに思い出すものだ。『ラ・カサ』ではレンガの一片一片にまで、すみずみにまで、命が吹き込まれ、その命が消し飛ぶ瞬間が記録される。それをホラー映画であると形容することは正しいと思う。ただ、ラストで崩され瓦礫となった家の残骸を映したのちに、カメラは軽くパン・アップして、隣に青々と生い茂る木々を捉える。このときに明らかになる人間の営みのはかなさ、そして自然の不気味なまでの存在、生命力は、その後のフォンタン作品にも共通するテーマなのではないかと思う。



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