2021年10月18日月曜日

『ふゆうするさかいめ』住本尚子

 これはすでに監督本人や他の人が指摘していることだと思うけれど、この映画に出てくる人たちは劇中でそんなにずっと眠っているわけではない。ねむくてねむくてたまらないはずのマリノは、たとえパジャマのままであろうとも、朝になると喫茶店に出勤する。横たわる彼女の姿と同じくらい、街をゆくシーンの気怠そうだけどたしかな彼女の歩みが印象に残っている。営業に向いてなさそうなマモルや、つかみどころのない明るさがあるミノリにしても、日々働いて、生活を組み立てようとしている。

 でも、彼らの体の奥のほうには得体の知れないなにかがつねに眠っている気配がある。それは記憶や感情といった曖昧で捉えようのないものたちだ。過去から溜まってきたそれらの堆積物は、ときおり目に見えるサインとして表に出てくる。マリノにできた赤黒い床ずれ、マリノがはじめてマモルを意識したとき彼の背中にみた蠢めく皺、ミノリが領収書の切れ端に書かれた数字の0にみとめたマリノの筆跡、そしてマリノの目に映る「残像」としての両親の影。夢のようなふわふわしたイメージとしてよりも、より物理的で触覚的、ときに聴覚的な痕跡として、それらは現れる。マリノたちは今を生きながらずっと過去を背負っていて、それゆえ自分や他人が残していく標に敏感に気づき、引き寄せられてしまうのかもしれない。

 人の記憶というのはやっかいだ。思い出したい記憶を浮かべ、そうでない記憶を沈めようとしても、なかなかうまくいかない。私の場合、夢でみる過去の記憶は後味の悪いものが多く、だからその日みた夢はすぐに忘れてしまうか、覚えていてもあまり人に話せない。感情にしたってすべてコントロールはできないから、なかったことにしてやり過ごすこともしてきた。日々を生きていくためにはいったん忘れておかないといけないことがたくさんある。マリノも公園の砂場に携帯電話としての過去を埋め続けることでこれまでなんとかやってきたのだろう。

 その均衡は、それぞれの記憶や感情が掘り起こされて触れあうことで危うくなる。マリノの過去に迫ろうとすることで、ミノリとマモルの関係はだんだん不安定なものになっていくようにみえる。マリノも彼らに出会うことで、体に眠っていた記憶が目を覚まして勝手に動きだすように、ダンスをしたり、残像が見えたりするようになる。

 記憶が触れあう、と書いたけれど、この映画は、誰かの記憶とほかの誰かの記憶を簡単にひとつに溶け合わせたりはしない。「ふゆうするさかいめ」というタイトルだし、次になにがおこるかわからない映画だから、ここではいろいろな境目がなくなってしまうのだと思いたくなるが、各々の「記憶の境目」はたしかにある。ミノリが「私にとってはマリノと過ごしたすべてが大切」と告げても、いまのマリノはよく覚えてないし素直にそう思えないだろう。マモルがふたりの出会いの記憶を鮮明に覚えているつもりでも、「それはあなたの記憶でしょ」と言われてしまうだろう。

 川上弘美に「境目」というタイトルのエッセイがある。境目を引くことはときに困難なものを呼び寄せるかもしれないが、それでも、たとえば季節がそうであるように、「みんな一緒」ではなくそれぞれの存在を慈しむためにも境目は悪くないものなのだそうだ。昨日と今日、忘れたいことと覚えておきたいこと、私の記憶とあなたの記憶。それらに区別をつけることで、私たちは自らの生を守っている。

 でも、『ふゆうするさかいめ』はそれらの境目が永久不変ではないことを示してくれる。境目は消えるのではなくて、そこにまだあるけどあり方や捉え方が変わっていくものではないか。あなただけの記憶と思っていたものが、いつかわたしにもわかるかもしれない。忘れたいと思っていたことを、思い出してもいいと思えるようになるかもしれない。親に習わされたダンスを、自分のものとして友達と踊りたくなるかもしれない。ミノリがマリノの家で見たものがマリノが見ているそれとは厳密にはちがってもなんとかなっているように、ふたりのあいだに境目はあってもいっとき心を通わせることはできる。

 この映画は境目をむりやり溶解させるのではなく、自然な変化にまかせている。忘れたいことはそのまま忘れて生きてもいいのだと優しく肯定してくれる。でも同時に、ある記憶をどうしても忘れられないこともまた、肯定してくれているように思う。それがつらい記憶であっても、身について忘れられないものはしょうがないし、私たちはなんとかそれと一緒にいるしかない。裂かれた布団から舞う羽毛を頭や服にくっつけながら、階段を降りてそれぞれの場所へ進むマリノたちを見てそう思った。布団につまった羽毛は、ままならない記憶の残滓だったのだろうか。かつてあったあらゆる記憶は、それが良いか悪いかにかかわらず、私たちを構成する一部だ。

 小学校の校庭で並んで横たわる3人の姿は切ないけれどすがすがしい。劇的に変わったものなどないが、ここからはじめることができるかもしれないと少しでも思えることが大事だ。これから忘れてもいいし覚えていてもいい。その線引きは絶対ではない。忘れてしまった記憶の痕跡や、忘れられない記憶を抱えた体を引きずって今を歩む私たちを、この映画はそっと包んでおくりだしてくれる。

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