2022年9月14日水曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記②    

ー2022年9月2日から2022年9月8日まで、その②ー
 
 この期間は大きな出来事があったから、もう一回書いておく。
 「君は大変な時にチリにきたね」とこちらでよく言われたけど、それは9月4日が新憲法の国民投票の日だったから。チリはいま36歳で学生運動出身のボリッチという大統領のもと左派が政権を握っていて、1980年のピノチェト時代に作られた憲法を改めることは彼らの悲願だった。女性や先住民の権利を保障し、人々の基本的な生活・福祉を守ることを記したこの憲法を日本のメディアはよく「急進的」と書いていたけど、当然守られるべきものをはっきり打ち出した画期的なものだったと思う。
 2019年に100万人以上も集まったチリ史上最大のデモのひとつの到達点ともいえるこの国民投票はまさに歴史的な出来事だったので、会う人会う人がみんなそわそわしている。とくに私が知り合う映画関係者は全員「apruebo(賛成)」派で、事前の調査では「rechazo(反対)」派が10%ほど優位だったのでピリピリしていた。9月4日は、前回も書いた先生の家に数名で集まって、バーベキュー(またの機会に書くけどチリの人はほんとうにバーベキューが好き)をしながら、投票の行く末を見届けようとなって、私も混ぜてもらった。
 あまり大きな報道はなかったが日本でもニュースが出ていたので先に結果を言うと、この新憲法は圧倒的な差で否決された。バーベキューをしながら開票速報を追っていくと、優勢と見られた都市部やボリッチの地元でもどんどん反対派が勝ち進める。みんなの顔が曇っていく。結局、賛成派は3割ほどで、6割以上の得票を得て反対派が勝利した。大勢が決すると、先生の家の庭は静まり返り、泣き出す人もいた。家の外では反対派が喜んで車のクラクションを鳴らしまくり(『チリの闘い』第1部冒頭の選挙戦での反アジェンデ派の行動を思い出した)、「チチチ・レレレ」と子どもが叫んでいる。
 だれもこんなに差がつくとは思ってなかった。チリの長年の社会運動の成果である新憲法とボリッチ政権(この投票は実質的に政権への評価も含んでいた)は多くの国民によって否定された。先生は「民主的なクーデターだ」とつぶやいたが、それくらいショックが大きかったんだろう。SNSに投稿された笑うピノチェトのGIF動画を見つけて、誰かが「ピノチェトの亡霊がよみがえった」と言った。たしかに報道では、憲法の内容よりも「チリを共産主義者に明け渡さない」とか「国民統合のため」とかまだそんなことを言っているのかと驚くような意見もたくさん見られた。それでもこの結果は重い。この敗北とこれからどう向き合っていくのか、チリの人と一緒に考えていきたい。

 パトリシオ・グスマンの新作『私の想像の国』(Mi país imaginario)を見たのは、この投票日から数日後だった。このタイミングでこの映画を見るのはつらい。先生の家では、「これでチリはグスマンにとってまさしく「私の想像の国」になった」と皮肉的に言っている人がいたが、2019年のデモを主題にするこの映画はボリッチ政権への期待と新憲法への希望を惜しげもなく映している。チリのシネマテークの広い劇場で私を含め5人ほどの観客がいて終わったあとに拍手がおきていた、その光景も悲しい。
 まだ時差ボケが解けておらず眠たいなかで見たので見直さないといけないが、それでもこの最新作は少々パンフレット的に過ぎるのでは?と思うところがあった。グスマンのフィルモグラフィ全体を貫く、良くも悪くもある両義的なポイントは、「客観」をとびこえた現実社会に対するときに過剰な「私的」介入の仕方だと思うのだけれど、今作はそれが物足りないというか表面的であっさりしているように感じた。日本では受けるかもしれない。でも、こちらではけっこう冷めた反応だし、それは『光のノスタルジア』で見せた、チリにいないのにチリ社会を撮るための想像力の飛躍みたいなものが影をひそめ、巨大な社会現象を追いかけることに専念しているからだろう。この映画に描かれることはわりともう知られていることが多い。ドローンの空撮は全体を見渡すにはもってこいだが、そうした上からの視点だけでなくもっと泥臭いなにかがほしかった。
 といいながら、ありえない規模の大群衆の映像は映画史的にも見たことがないもので、女性たちとのインタビューもよかったし、あとで見返したらちがう感想になるかもしれない。ただ、あたりまえのことだが、映画というのは状況によって大きくその印象が変わるし、時をこえる映画というのは作ることも見て判断することも難しいと感じた。グスマンはいまなにを考えているのだろうか。

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