2024年9月5日木曜日

太田達成『石がある』

 スクリーンで見てから1ヶ月くらい経つが時々この映画を思い出す。見ている間はけっこうハラハラしていた。映画の先行きが予想できないのもあるが、主役のふたりが過ごす一見楽しそうな無為の時間にはりつく危うさが気になっていた。仕事で来ているらしい女性(小川あん)は水切り遊びをする男性(加納土)と遭遇するまでに老人と子供たちと関わる。その都度のやり取りから、慎重だが流されやすい彼女の人となりがわかる。老人の車に入るのも子供たちのサッカーに混ざるのも若干迷うところだが彼女は拒まない。なんでも受け入れるタイプなのだと思う。
 土くん演ずる男性は大きな体に石のような色の服を着ていて、その存在の密度や重力が印象的。その重さに反して運動はかなり得意そうで、動きに迷いがあまりない。動作が力強くまっすぐで、水面を跳ねる石のようにすばやく画面内外で水溜りを飛び越えたり川を渡る。この川を渡る場面、そんなに浅そうには見えない川に腰まで浸かって女性のほうへずんずん向かってくる様子はかなり衝撃的で、笑っていいのかもしれないけど、観客は女性側からそれを見ていることもあって、その尋常ではない様子はちょっと怖い。その後も彼はとくに目的もなく女性の後をずっと追っていくので不安になる。
 彼らは見た目の性別も身のこなしも異なっていて、だからたいして乗り気ではなさそうな女性に男性が理由なくついていくのに大丈夫か……?という気持ちになる(そうやってひどいめにあう映画をたくさん見てきた)が、そうした社会的な慣習や属性から離れたところで関係ができていく様子を映そうとしたのが『石がある』なのだろう。男性が家に帰って書く日記で女性のことを「人」と呼ぶように、この映画には固有名詞や人物の背景描写がほとんどない。公園ではじめて知り合って遊ぶ子どもたちが結ぶような関係を、石をはじめとするいろいろなものの即物性をまじえて抽象的になりすぎずに撮っている。
 彼らが石遊びや枝遊びをして戯れる無垢なヴァカンス的時間そのものよりも、そうした時間が終わり、急に我にかえってひとりになりながらも、さきほどまでの時間を反芻していく過程が面白かった。子どもなら家に帰らなくてはならない夕方と夜のあいだにクロースアップで映される2人の顔、小川さんの険しい顔や土くんのなんともいえない気まずい顔が生々しい。この場面のあとから、それまで社会的にはあまり理解できない行動をとってきた男性の役割が女性のほうに転移していくのは意外だった。男性は家に帰って生活の匂いが漂ってくるが、そのへんをさまよう彼女のほうはどんどん大胆になるというか自由に逸脱していく。そこに犬がいたから散歩しましたみたいに振る舞う小川さんは堂々としている。ああこの人のことよくわかってなかったかもしれないと感じはじめる。
 普通に社会で暮らしているとまっさらに人と出会うことは難しいから、社会的な理から少しでも外れた人には身構えるし、そういう関係を見ていると危うく感じる。『石がある』もはじめはそういう気分から逃れられなかったが、最後のほう、ふたりが再び束の間交差する場面を見ると、人の危うさやわからなさ、掴みがたさを別様に眺められる気もしてくる。石が川辺に無数にあるように人は世界にいて、気になる石を拾うように人と人は偶然出会う。同じ石でも水と接する面や持ち方投げ方を変えれば沈んだり跳ねたり動きが変わるが、人も見方を変えればちがう面に気づく。出会いの偶然というのは最初の一点で凝固せずに、もっと幅広い時間のなかで変容していく。そういう人やものの潜在性や可能性みたいなものがまわりに茫漠としてあるのだろうと試写の帰りの電車で考えていた。これまでに出会って覚えている人やものや時間、それからもう思い出せない無数のそれらが急に思い出される。『石がある』は異物のような映画で、見てから時間が経ってもあまり飲み込めていない。怖かったり、心許なかったり、ちょっと嬉しかったり、見ているときや見終わったあとでいろいろな感情や余韻がまざりだす映画だった。

2024年5月5日日曜日

ビクトル・エリセ『瞳をとじて』

 先日、鵠沼海岸のシネコヤでビクトル・エリセの映画についてお話しする機会があった。『ミツバチのささやき』をシネ・ヴィヴァン六本木で見た往年のファンや、『エル・スール』の冒頭が好きでたまらないんです!と熱弁する小学5年生(すごい……)といったさまざまな参加者とともに、あっというまに時間が過ぎた。この会のために準備していたけど時間がなくてできなかった話や、みなさんとお話しするなかで気づいたことがいくつかあるので、当日話したことも含めて『瞳をとじて』について文章を残しておきたい。 

 『瞳をとじて』に対して私を含む多くの観客は、『ミツバチのささやき』や『エル・スール』の世界をなんとなく勝手に期待していたと思う。作中の家に差して特異な時空を立ち上げる強烈な光線、目の前に広がる大地や並木道を駆ける少女たちを捉えるカメラの運動、スペイン内戦という過酷な過去を抱えた沈黙。これらに加えてエリセが日本に紹介された当時のミニシアターブームの記憶や、寡作なフィルモグラフィともあいまって、エリセの映画は神秘的な雰囲気を纏い、それぞれの観客自身のごく親密な記憶と結びついてきた(『瞳をとじて』の公開にあわせて、Twitterには「#わたしとエリセ」というハッシュタグがあって、各々がエリセの映画とどう出会ったかが語られていた)。 
 けれどそうしたフィルム時代のエリセの映画に漂う「重さ」や「神聖さ」は、『瞳をとじて』にはあまり感じない。パキパキのデジタル映像で大部分が撮影されているこの映画では、これまでのように記憶や過去が重要なテーマとして取り上げられるが、それらはとっくに手の届かないところに過ぎ去ったものとして、ほぼ諦めがついたような態度で語られる。この映画で印象的なのは、人と人が出会って話をする、それを切り返しでひたすら撮っている、ということ。冒頭の劇中映画から、とにかく1対1でずっと話をしている。それをカメラは執拗なまでの切り返しーー時々異様なクロースアップがあるーーで追っていく。失踪した映画俳優についての物語なので、話されているのは大体昔の話だ。ひとつひとつのシーンが終わるたびに瞳をとじるように画面はフェードアウトしていき、浮かび上がった時間は再び遠い暗闇に沈んでいく。 
 かつてのエリセの映画の少女たちは、父の記憶、親世代のスペインの記憶を、意識的かつ無意識的に追い求めていた。そこにあった少女の視線を介したまだ暖かみの残るやさしい記憶の手触りよりも、この映画には父たち、男たちの乾いた視点を感じる。エリセの映画でこれまで最も神秘化されて象徴化されてきたのは父親たちだったのかもしれないーー強権的なフランコ独裁の象徴として、または破れた共和国派の男たちの影として。『瞳をとじて』では、その父親たちーーミゲルとフリオーーがこれまでの語らずにして語る意味深な態度を捨てて、裸で過去と向き合おうとしている。 
 そのときにまず浮き彫りになるのは、彼らの孤独、または居場所のなさだろう。主人公のミゲルは息子を亡くしていて、あまり人付き合いがよさそうには見えないし、映画監督としても作家としても長らく成果を発表できていない。彼は劇中で定まった場所にとどまらず、つねにあちこちを移動している。私がこの映画で一番好きな場面はミゲルが昔の恋人ロラと再会するところで、ここでの二人の会話が忘れ難い。ひとしきり昔の話をしたあとに、ミゲルは、かつて探していた「ほんとうの居場所」は見つかったかとロラにきく。彼女は「いいえ、見つからなかった。あなたは?」と返して、ミゲルは「僕も見つからなかった」と答える。ロラはアメリカ人のパートナーと結婚してその後離婚し、今はアルゼンチンに暮らしている。彼らはほんとうの居場所や確固たるアイデンディディを見つけられずに彷徨っている。
 フリオこそアイデンティティが不確かな人物だろう。彼は記憶を喪失しているし、いまはフリオではなくガルデル(タンゴ歌手の巨匠の名前)と呼ばれている。そういえばミゲルは普段暮らしている海辺のコミュニティではマイクと呼ばれているし、そこに住む彼の友人は本名よりも「デカ足」のあだ名を好んでいる。彼らの名前はひとつではなくていくつかあって、それはアイデンティティが複数あることを示している。 
 この映画に出てくるあらゆるものたちが「居場所のなさ」を引き受けている。劇中映画で娘を探すよう依頼するミスター・レヴィは自分を「セファルディ」だというが、それは1492年のレコンキスタ以降、スペインを追放されてアフリカやアジアへ散らばったディアスポラのユダヤ人たちのことだ。そうした流浪の民であるセファルディの父親が、かつて上海で別れた娘と再会を望むというのだから国籍的にはさらに入り組んでいる。ユダヤ人でいうと、主人公のフリオが作中、海辺の家で翻訳している本は、Michał Waszyńskiという実在のユダヤ系映画監督・プロデューサーについての本で、この人物はウクライナに生まれたのち、第二次大戦の前にポーランドでカルト的な映画を撮り、その後イタリアやスペインを転々としながら監督をしたりアンソニー・マンの映画のプロデューサーをしたりしている。このように『瞳をとじて』に集う人物たちはみな定まったところにいることができなくて、「ほんとうの居場所」を探している。 
 なんらかの自己を喪失して生きてきた「亡命者たち」の輪のなかには、エリセ自身もいる。前田英樹が指摘したように、エリセが撮ってきた長編映画(『ミツバチ』『エル・スール』『マルメロの陽光』)は「どれもスーパー・インポーズによる時間の特定化」(「唯一の時間について」『映画=イマージュの秘蹟』p.229)から始まる。これは『瞳をとじて』でも例外ではない。今作の場合は、映画の冒頭の「1947年 フランス郊外 トリスト・ル・ロワ」という劇中映画のインポーズがあって、その劇中映画の顛末(主役の失踪、映画の挫折)がエリセ自身の声によるヴォイスオーヴァーによって語られた後、現代のパートで「2012年秋 マドリード」というインポーズが再び出る。2012年に現代の舞台を設定した理由についてエリセは、「登場人物たちの人生がフランコ時代と何らかの関わりがあったことを示すため」(Caimán Cuadernos de Cine, 2023.09, p.14)と言っている。『瞳をとじて』には、1947年から2012年にかけて宙吊りにされたフィクション映画の時間と現実のスペインの歴史、そしてエリセ自身の人生が重なっているといえるだろうか。パンフレットやいろいろな記事(これが参考になる:https://www.thecinema.jp/post/article_letters/hJY9i)で書かれているとおり、『瞳をとじて』には今までのエリセが送り出してきた映画と、実現できなかった映画の企画が何重にも折り重なっていて、絵画の下描きのようにうっすらと映画の背後に透けて見える。これまでのエリセの映画では、「2つの歴史」(スペイン現代史と映画史)が密接に絡まりながら物語を支えていたと思うのだが、『瞳をとじて』にはそれに加えてエリセの個人的な人生・映画史という3つ目の歴史がはっきりとあらわれている。映画後半の誰もが唖然とする「Soy Ana」(「私はアナよ」)というセリフに顕著だけど、こういうふうに映画を撮れる人はいまの世界でエリセしかいないんじゃないだろうか。 
 スペインという周縁で孤独に映画史と対話しながら映画を作ってきたエリセは、自らを「内的な亡命者」と呼んでいる。詳しくはエリセ研究者の三宅隆司さんの研究(『シネアスタ・ビクトル・エリセ ――秘密の話し相手との対話』)を参考にしてほしいけど、「内的な亡命者」とは、国外に出ずとも国内で居場所を見つけられず、実人生においても社会においても孤立を感じている人を指す。エリセは最近になって行われたペドロ・コスタやパウロ・ブランコとの対談(https://dokushojin.net/dokushojin/411/)で、ブニュエルやオリヴェイラの境遇を語りながら、自分の世代はスペインの社会や歴史に主体的に働きかけられず、自らを孤児のように感じているという。ここでエリセがいう孤独とは、スペインの社会的・歴史的なものであり、同時に映画文化や映画史における立場でもある。この対談だけでなく『マルメロの陽光』以降さまざまなところでエリセが発言しているように、フィルムの時代が終わり誰もがデジタルで映画を撮り、それをテレビやパソコン、スマートフォンで見るようになって、かつて映画館で時と場を共有していた観客の共同体は消滅した。エリセはそうしたデジタル映画を「オーディオ・ヴィジュアル」と呼んで、かつての「映画」とは区別している。コスタとの対談でエリセは「自分の共同体を見つけられていない人々」について語っているが、昨今の映画文化における共同体の喪失や孤独についてエリセは『瞳をとじて』で強く意識している。 
 だからこそ、記憶をなくしたフリオが自らの過去を思い出すことができるのかという映画終盤の物語の争点は、失われた映画文化や共同体、つまりかつてあったかもしれない「ほんとうの居場所」を取り戻すことができるのかという大きな問いとつながってくる。私が感動したのは、この問いに対して『瞳をとじて』が、過去の記憶や共同体をそのままに復元したり懐かしんではいないことだった。フリオがいる病院で医者のベナビデスがミゲルにかける言葉が大事だ。ベナビデスは、記憶はたしかに大切だが、人は記憶だけでできてはいない、感情(sentimiento)や感性(sensibilidad)が不可欠であり、文学や映画はそれらを喚起し、人の魂を目覚めさせることができるという。この言葉を聞いたからこそ、ミゲルは終盤で未完の映画を見せることによって、フリオの魂を呼び覚まそうとする。ここでは映画がかつての記憶をそのまま取り戻せるかというよりも、現在のフリオを変えることができるか、という点に懸けられている。さらにフリオだけでなく、ここではミゲルの現在も変わろうとしている。映画館の所定の座席に関係者たちを座らせようとステージから指示する彼の姿は、さながら演出を行う映画監督である。映画の終盤になって明らかに彼は生き生きとしている。 
 この映画の結末については、フリオは結局自らを思い出したのかそうでないのかという点で議論されると思うけれど、私はどちらでもよいと思う。重要なのは、記憶そのものではなくて、それを思い浮かべたいと思う今ここの感情や意志であり、フリオが瞳をとじている時点で、その願いは達成されているからだ。かつて未完に終わった映画は、たしかにフリオを突き動かしている。「思い出す」という過去と現在のはざまをさまよう行為を映画がたしかに導いている。思えば、ミゲルとロラが会う場面、かつて好きだった歌を唄ってくれと頼まれたロラは、一度ピアノを弾き始めるもそれは間違いで、次の曲でようやくほんとうの曲と出会うことができる。ここで間違えてしまうのはコミカルだが、そのぶん思い出そうとするロラの所作に注目することができる。彼が好きだった唄はなんだったろうかと暗い記憶のなかをたぐりよせるように思考をめぐらせること、それを唄ってふたりで聴くこと。ふたりの過去そのものよりも、忘れてしまいそうになりながらも思い出そうとしているいまここのふたりに私は心を動かされた。『瞳をとじて』は単なる回想の映画ではなくて、もう二度と立ち戻ることのできない過去を、現在において語り直し、作り直していく映画なのだと思う。 
 もう長く書いてしまったのだけれど、最後にひとつだけ。『瞳をとじて』の「思い出す」行為で大事なのは、それをひとりではなくて誰かと共に行おうとしていることではないだろうか。『エル・スール』で父親のことを想い回想の主体となっているのはエストレーリャだった。映画館で映画を見たのは父親アグスティンだけだった。『ミツバチのささやき』で映画に突き動かされたのはアナだけだった。『瞳をとじて』の劇中劇では、ほんとうの父親レヴィが死んだあと、代理の父親のようにフリオが少女に寄り添い、ともにこちら側を見つめる。それを客席にいるフリオは娘のアナと一緒に見つめる。かつてはばらばらで一方的だった父と娘の想起の関係や映画体験が、ここでは共同的に再演されている。そして、それを見つめて受け止めてくれるミゲルやほかの観客がいる。エリセや『瞳をとじて』の人々が探していた「ほんとうの居場所」はここに一瞬成立したと思った。それはどこかに具体的に恒久的に存在するものではなくて、偶然その場に集って映画に突き動かされた人たちの間に生じる刹那的な共同体のようなものなのかもしれない。『瞳をとじて』に映るエリセのノスタルジーや映画愛、自己オマージュを時代錯誤だったり閉鎖的にみる人はいるだろうし、それはたしかにそうなのかもしれないとも思う。けれども私は、かつての映画の終わりを深刻すぎるほどに受け止めたエリセが、それでもなお今映画を撮って、映画からこそ生まれる感情や感性、経験、記憶を分かち合うための共同体の可能性を示してくれたことの意味をずっと考えている。『瞳をとじて』は集大成のような映画だけれど、決してずっと後ろ向きではなくて、これから先を感じさせてくれる映画だった。それは映画の始めと最後に置かれた、過去を見る顔と未来を見る顔があわさったヤヌス像にもあらわれている。これからのエリセの映画はきっとあるだろうし、それが楽しみだ。

2023年7月9日日曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑩:「姉妹の力」ー美味しいマプーチェ料理

  ひとりの学生としてなかなか懐具合も厳しいところ、料理がビビッ!と「美味しい」と感じるレストランにサンティアゴでめぐりあうことはなかなか難しいけど、この前行ったマプーチェ料理のお店はすばらしかった。NEWEN LAMNGEN、マプーチェ語で「姉妹の力」という名前のこのカフェ・レストランは、ティルソ・デ・モリーナ市場という小さな市場の2階にひっそりある。サンティアゴには『地球の歩き方』にも載っていて観光客が多い中央市場と、チリ人でごったがえしている巨大なベガ市場という二つの有名な市場があるが、その間にある小さな市場にある。

 新鮮な野菜のサラダ、揚げたてのソパ・イ・ピージャ(揚げパン)とメルケン入りサルサソース、分厚い骨つき豚肉をピリ辛ソースでオーブンでじっくり焼いたものとたっぷりのポテト、カスエラ(大きな牛肉やじゃがいも、かぼちゃ、とうもろこしがごろごろ入ってるチリの名物スープ)。ぜんぶ心のこもった味でほろほろと美味しかった。店主の女性も優しくていい人だったけど、ウェブ記事を読むと自身のルーツのマプーチェの文化や料理を伝えようと、協働的なかたちでお店を運営し、文化活動も行なっているみたい。

 サンティアゴに来たときはぜひ行ってみてください。次に行くときは、記事の写真にも載ってるプルマイ(チロエ地方の料理で、蒸した魚介や野菜や肉をスープみたいにしたものらしい)を食べてみようと思う。

 

2023年7月1日土曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑨:近況、「私たちは痕跡だ」

  気づいたら最後にブログを更新したのが1月になっていた。もう7月なので、サンティアゴにいられるのもあと2ヶ月もない。博士論文を書くための調査に来ていて、だいたいの方向性と書く内容が固まったのはよいけど、ここのところあまり調査そのものは進んでない気がする。6月は高熱が一週間ほど続いて(インフルエンザらしかった)、そのあと大雨でうちが停電しているなかホテルに駆け込んで日本との夜通しのzoom会議を二日続けてやったらまた熱が出たりしてかなりきつかったが、ここからは少し頭を切り替えて、できるだけ本を読んだり映画を見たり、人と会っていきたい。

 これまで何度も書いているけれど今年はクーデターから50年目なので、あちこちでそれにちなんだイベントが行われている。この前、6月29日は50年前のクーデター未遂についての上映会がチリのシネマテークで行われた。『チリの闘い』を見たことがある人なら覚えていると思うが、第2部と第3部で映される、カメラマンのレオナルド・ヘンリクセンが自らの死を記録した映像をめぐる証言ドキュメンタリーと、当時のニュース映画の上映があった。カメラに向けて兵士が発砲し、やがて撮影者の身体とともに崩れ落ちていくあの映像は一度見たら忘れられない。イベントでは、当時の現場にたまたま居合わせた録音技師と、一連の事件について当時ニュース映画を作った人のお話があった。特に後者のニュース映画はよくできていて、あまり準備する時間もなかったろうにさまざまな角度からの記録映像がつなぎあわされ、かつ直線的な編集ではなく軍部を批判するようなコラージュ(ナチスの映像をつなげたり)もきかせている。使われている音楽や編集の仕方が、あきらかにサンティアゴ・アルバレスのニューズリールを意識していて、やはり彼の影響は大きかったのだと思った。それにもましてすごかったのは、上映後のお話でニュース映画の監督が当時の撮影状況をたいへんスリリングに詳細に話していたことだった。どこに立っていたか、誰からカメラを渡されたか、といった一刻一刻を細かく早口で述べていって、こんなに覚えていられるのかと驚いた。

 ヘンリクセンの映像をよく見ると、彼に向かって撃った兵士は3人いた。誰の弾が当たったのかはわからないが、ヘンリクセンが一人目が撃ったあとも記録を続けようとしたことはたしかだ。兵士全員、撃つまでの動作がスムーズというか「とりあえず撃っとくか」みたいにさりげなくて、それが怖かった。

 GAMという大きな演劇、アートスペース(https://gam.cl/)はクーデター50年目の一連の取り組みのキャッチコピーを「私たちは痕跡だ」(Somos huellas)としている。いい言葉だと思った。

2023年1月24日火曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑧:引き継がれるアリシア・ベガの映画教室

  『にわのすなば』の公開が始まろうとする12月のはじめに、ペルーとの国境沿いにあるアリカという町に1週間ほど滞在していた。首都サンティアゴとは全然ちがう、砂に覆われた風景が印象的なこの町に行ったのは、チリで子ども向けの映画教室を30年以上続けたアリシア・ベガのメソッドを学ぶワークショップに参加するためだった。アリシア・ベガが主宰する映画教室自体は2015年を最後に行われていないが、2016年にアリシア・ベガ文化財団という組織が設立され、アリシアが考案した映画の教え方を共有したり、過去の子どもたちの作品の展示会を開いている。2022年からは、サンティアゴやバルディビア、チロエ、アリカといった国内各地で、全四日間の日程で講師向けのワークショップを開いている。 
 私はこの子ども映画教室について調査していて、とある上映会でこの財団のメンバーの二人と知り合ったことがきっかけで、このワークショップに参加した。アリカはサンティアゴから飛行機で3時間ほどと遠いが、この機会を逃したらもう次はないだろうと思って応募したら運良く選考に通ったので参加できることになった。
 このワークショップは参加者が子どもの立場になって実際にアリシアが行ってきた内容を体験することが主な内容となる。みんなで机を囲んで、自分の手でソーマトローポやゾートローポを作り、それで遊ぶ。今までやったことがなかったので分からなかったが、実際に自分が描いた絵が自分の手によって動きはじめるのを見るのはとても楽しい。子どもだろうが大人だろうが関係なく、ものが動くだけで人は感動するのだとわかった。私は小さいころから絵を描くのが下手で、図工や美術の時間でまわりの人がすいすい上手にアイデアを具現化していくのを見ると落ち込んでいたのだけれど、今回のワークショップでは下手なりに自分でイメージを作ってそれを動かす喜びを知った。
 このように、アリシアの映画教室は映画の起源である、イメージが動きだす仕組みから学んで、徐々にカメラのアングルやショットのサイズ、シーンやシーケンスの区切りなどを学んでいく。けれどこの教室の主な目的は、プロの映画人を育てることでも、映画の専門的な知識を教えてシネフィルを育成することでもない。子どもたちが映画を通して自己を表現し、他者と触れ合い、世界を知ることで、自分なりの楽しみを見出すことが目指されている。その点で、これまでアリシアが教室を行ってきたのは、チリのなかでも貧しい生活をおくっていく子どもたちのためであったことは忘れてはいけない。日々の生活もままならないなかで映画はなにができるのかという根本的な問いがこの教室にはつねにある。アリシアにとっての映画とは、今ある自分の世界を表現しながらも、ここにある現実とは別の世界を映すものでもある。アリシアの活動はアート・アクティヴィズムだと言っていた講師の言葉はそのとおりだと思う。この教室は子どもたちにとって「もうひとつの居場所」であるべきであり、そこでは子どもたちを尊重することが大事だ。独裁政権下ではじめられたこの取り組みは、いまだ格差が根強く残る社会のなかで光を失っていない。
 アリカのワークショップに参加した人たちも、こうした意識を強くもっていた。参加者の多くはこの地域の学校の先生で、近年の格差の問題や増加する移民への教育といったテーマについて真剣に悩んでいる人が多かった。アリカはもともとペルーやボリビアとチリの文化が混ざり合ったような風土があるところだけれど、近年はベネズエラやコロンビアの移民がかなり増えている。そうした環境で、どのように教育を多様な層に届けられるのかという観点は、ワークショップのなかでもよく議論されていた。参加者の大半は女性で、子ども連れで参加している人も多かった。彼女たちと同じ机で作業して各々の作品を褒め合い、映画の感想を共有するのは楽しかった。とくにチャップリンを皆で笑いながら見る感動というのは普遍的なものだと実感した。
 自分がもてなされている、受け入れられているという感覚がたしかにあったことは、この財団のワークショップのすばらしさだと思う。参加費はすべて無料で、朝集合したあと、まずはみんなで朝食を食べることからはじまり、途中の昼休憩にも美味しい食事と飲み物が用意され、全員でテーブルを囲む。お金をなるべくかけないようになるべく手作りの飾りや材料でワークショップが行われていたこともよかった。本来の映画教室は全部で15日にわたるらしいが、今回はそれを濃縮して4日間、それでも最後はみんなと別れるのが惜しかった。最終日には全員の作品の展覧会と修了式、そして去年アリシアが刊行した全三巻の映画教室のメソッド本がプレゼントされた。
 この経験をもとに日本でも同じようなことができないだろうかと考えているし、機会があればこの本を翻訳したいと思う。あと、この教室にある「楽しさ」については、今後もっと考えていきたいと思った。映画とわたしたちの生がつながり、それぞれを生かしあうような喜び。気取らず、驕らず、映画を成すひとつひとつの要素に触れることの楽しみ。

2022年12月9日金曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑦:いろいろ近況、『にわのすなば GARDEN SANDBOX』見てね!

  先月から現在まで、アルゼンチンのメンドーサ、チリのコンセプシオン、アリカ、ペルーのタクナといろいろなところを移動してきた。長距離バスに乗りまくってさすがに疲れて少し体調を崩したけれど、今は元気になってきた。映画祭にいくつか行って、たしかに楽しいんだけど、ちょっともうお腹いっぱいに感じるときもある。ひたすら映画を見るのは好きなのだが、新しい人に会いつづけるのがたまにきつい。研究調査で来てるのだからグイグイ現地の映画コミュニティに入るべきだが、元来私はあまり社交的な性格ではなく、仲のよさような映画人たちのグループにひとりぽつんと入るのはなかなかエネルギーを使う。作品を見た後すぐにその作家に会うのも超緊張する。映画祭といってもチリの映画コミュニティはせまいのでみんな顔見知りのようなかんじで、上映前も後もそこかしこでグループができている。みんな親切だから嬉しいのだけど、もっと話せるようになりたい。

 今はペルーとの国境近くにある町アリカにいて、アリシア・ベガ財団がやっている映画教室のワークショップに参加している。また次回のブログで詳しく書くけど、これがすごく楽しい。『100人の子供たちが列車を待っている』のアリシア・ベガの授業を、講師のもとで自分たちで体験しながら、自分たちで教室を開く「先生」になるためのワークショップ。全4回で今週末で終わりなのだが、アリシア・ベガの表面的なメソッドだけでなく、なぜ映画で教育なのか、なぜチリでこれが生まれたのか、よくわかった。もう一度ゼロから映画と向き合いたいと思えるような体験。終わったらまた感想を書く。

 明日は『にわのすなば GARDEN SANDBOX』がポレポレ東中野で公開する。できるなら日本に帰ってスタッフやキャストのみんなと一緒にポレポレのスクリーンで見たかったけれど遠いから残念、zoomで我慢。初号試写を渋谷の光塾で見た時は、終始足がガクガク震えていたのを覚えている。とにかく見るのが怖かった……けど見てみると楽しかった。もう撮影から1年経って周りもだいぶ変わってしまった。早い。でも、『にわのすなば』は何度見ても慣れないというか飽きないというか、懐かしいという感じでもないし、見るたびにうずうずしながら色々な感情になる。自分で出演したので客観的には見れないけれど、パンフレットになるキノコジン2号にも書かせてもらった。この人たちと一緒に書けたらいいなと思っていた執筆者ばかりのすごい読み物のはずなので手にとってほしいです。
普通の映画でないことは確かなので、みなさんが見てなにを思うかとても楽しみなのです。感想、できたら教えてくださいね。

2022年11月11日金曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑥:『Sobre las nubes』『Notas para una película』『1976』

  サンティアゴは最近暑くなってきたと思ったらやっぱり夜や朝は急に寒くて、なかなか落ち着かない。気持ちの振れ幅が大きいのもそのせい……?時々なんで自分はここにいるんだろうとわけもなく呆然と寂しくなるのは、外国にいるからでしょうか。日本にいても同じか。
 
 それはともかく、このごろ見て面白かった映画について記します。このごろといっても、もう1ヶ月ほど前のバルディビア映画祭の思い出。
 この映画祭で見て一番よかったのはMaria Aparicioのアルゼンチン映画『Sobre las nubes』。2時間半くらいあって見る前は長いなあと思ってたけど、見始めたら面白くて見入ってしまった。グランプリもとった。モノクロのブエノスアイレスの街中でおこる群像劇で、よくある群像劇みたいにキャラクターが交差して物語が生まれるとかではなく、労働者やブルジョアのひとりひとりの細やかな日々の機微をしっかりかつ詩的に映していた。『ウンベルトD』をもう少し軽やかにした感じの、刻々と過ぎていくけど見てると大事に思える、味わい深い時間が流れていた。カウリスマキっぽいと思って、あとでインタビューを読んだら、監督はパンデミックのあいだずっとカウリスマキを見ていたらしい。無表情で淡々としていて、暖かくユーモラスな偶然性がある。この映画は日本でも上映があったらいいな。

 あとはイグナシオ・アグエロの新作『Notas para una película』は、これまでのアグエロ映画の路線(監督自身のカメラ前への登場、突然の中断など)をふまえつつ、ラウル・ルイスやゴダール要素も満載だった。チリ南部、マプーチェの土地であるアラウカニアにはじめて鉄道を敷いた西洋人についての自伝的映画だけれど、当然一筋縄ではいかなくて、いきなり現代日本の新幹線の映像が出てきてびっくりした。あれがわかった人は会場に何人いたんだろうか。誰かの自伝を映画にすることについての反省的アプローチが隅々まであった。映画自体も面白かったけど、アグエロは舞台挨拶が天才的にうまくて、会場は大盛り上がり。上映後のQAも質問に答えているようで答えていない、けれどだれもまったく悪い気にはならないという絶妙な調子だった。

 最近だと、東京国際映画祭で上映された『1976』もシネコンで見た。カメラの焦点と音楽、美術が癖になるような独特さで、サスペンスフル。反政府の若者をブルジョア女性が介護する話だけど、その若者があまりカメラの中心にいないのがおもしろい。ねっとりしていて、でもどこか底のぬけた孤独や恐ろしさがあって、あの時代の女性の感覚をこういうふうに描けるのは新しいと思った。プロデューサーがドミンガ・ソトマジョルで、チリの女性作家はあの時代を大局的な視点ではない個人の視点からフィクションで語り直そうとしている印象がある。監督は『マチュカ』のあのミルクの女の子のイメージが強いが、役者として活動しながら米国の大学で映画制作を学んでいたみたい。

 来週はチリ最強のシネフィル映画祭らしい、フロンテラ・スール映画祭に行ってみようと思います。論文も書かなきゃ……

2022年10月15日土曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑤:バルディビア映画祭、山﨑樹一郎『やまぶき』、カルラ・シモン『アルカラス』

  サンティアゴからバスで10時間ほど南に行ったところにあるバルディビアという街の映画祭に参加している。きれいな川と深い緑、あとおいしい地ビールが有名な美しい街で、ここで住めたら素敵だろう。ビールはなにを頼めばよくわからないからおすすめをききつつかたっぱしから飲んでいるけど、どこでどれを飲んでもおいしい。バルディビア映画祭は今年で29年目で、それぞれの会場のスクリーンも大きく音もよく、プログラムも独自の視点で世界中の個性的な作品が集められている。オペレーションもスムーズでこういう映画祭が日本にも増えたらいいのに。

 オープニングセレモニーでは、バレリア・サルミエントが人民連合時代に撮って以来失われたと思われていた『色とりどりの夢』(Un sueño como de colores)が上映されて感激した。サンティアゴのストリッパーを記録したこの映画は、冒頭のカラー映像やタイトル画面から華やかで、他の革命映画とは一線を画しており、彼女たちの窮状を訴えながらも誇らしい仕事として見事に映画にしている。

 他にもメキシコのフェミニズム映画コレクティブの映画や、ラテンアメリカの短編映画コンペ、アルゼンチンのAna Poliakの特集など見ているけど、どれも水準の高い作品たちと確固とした視点の特集で、おもしろい。フェルナンド・ソラナスとも仕事をしてきたPoliakの『¡Que vivan los crotos!』は、鉄道が中心の美しいショットと証言の組み合わせがすばらしいドキュメンタリー。

 日本からは山﨑樹一郎『やまぶき』がヤングシネマ部門に入っている。バルディビアで真庭が舞台の映画を見られる!と思って映画館に行ったら、地元の中学生くらいの子たちを中心にシネコンの劇場がほぼ満席だった。
 16mmで撮られている『やまぶき』は、冒頭の採石場のザラザラした荒涼なイメージからはじまっていつのどこの映画だろうと迷うような雰囲気がずっとある。借金を背負って韓国から真庭にきた主人公をはじめ、ベトナム人労働者や、街中でのデモなど昨今の社会をいろいろ取り込んだふうにもとれるが、たやすく区分けできる善人も悪人もいないこの映画では、あからさまなメッセージや杓子定規な多様性を押し出す前のところで、彼らの生活感が群像的に重ねられていく。監督がここで生活しているということもあるのだろうが、映画が全体的に重いというか、根をはっているよう。役者もみなさんいい。
 映画全体が思っていたよりもずっと凸凹してるなと思ったのは、ジャンル映画っぽい荒唐無稽な展開と、鈴木清順みたいな夢幻的時空が、上に書いたような社会性と組み合わされるからだろうか。編集のテンポも前半と後半でちがうような気がする。けどイヤらしいかんじはせず、世界を個人のなかに折りたたむか、個人から世界を広げるために必要な表現だった。
 黒住尚生が祷キララにむけてサイレント・スタンディングの現場で掲げる「君のことが好きなんだ」(みたいなことを書いてた)矢印ボードが好きだった。会場で一番笑いが起きていたシーンであるけど、他の参加者が持ってる「9条守れ」などの文言と並んでても全然おかしくないし、いやそもそもこういうことを伝えたくてデモとかやるんだよなというのをシンプルに見た。矢印の向きがくるくる変わるのも良かった。
 あとは祷キララの「わからん」。この映画の大人、とくに男たちはよく泣き、ためになりそうだけど少し説教っぽいことを言うのだが、それらにまったくひるまず彼女が放つ一言がすがすがしい。

 あとたぶん日本でやるだろうけどどうしても見たくて見たのは、カルラ・シモンの『アルカラス』。去年のベルリン映画祭で金熊賞をとっている。前作『悲しみに、こんにちは』(どうしてこんな邦題なのか…)がよかったから楽しみにしていた。
 今回もやはり彼女の故郷のカタルーニャの農村を舞台に、農園を営む家族と、彼らの土地の危機が描かれる。カルラ・シモンの映画がすごいのは、子供たちの遊びの場面をふくめて、家族の日々の生活のシーンを、生々しい感覚(触感とか匂いとかに地域性がある)と儚さをもってカメラが捉えていることにある。いわゆる自然さとかリアリティとはちょっとちがう気もする。前作よりも今回はより大きな家族を描いているので難しかったと思うのだが、たとえば家族の食卓のシーンやベットの上でだらだらするシーンにみちているなにかは、郷愁とかをこえて、別にそんなに似てない人生を辿ってきたどこかの観客にも、そういった大切な瞬間がたしかにあるし私はそれを知っていると思わせるような力がある。それでいてこの映画のラストは社会の現実を見せつけられるもので悲しくもある。
 『やまぶき』と一緒で、こういったローカルな要素を突き詰めて時間をかけて作られた映画は見た後も当分残るものがあるし、これらの映画があちこちの映画祭でかかっているのは、そうした映画をみんな望んでいるからなのかな、などどバルディビアで考えていた。

2022年10月5日水曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記④ チリのサーカス、『空が赤い』

  9月17日から23日まで。
 9月18日はチリの独立記念日で、前後4日間ほど休みになる。年末年始と同じか、それ以上に大きなお祝いの期間で、みんな楽しそう。家族で旅行に行ったり、家でパーティーをする人が多いけど、私はとくにすることがなく、17日にオイギンス公園で開催されていたフェリア(お祭り)にひとりで行った。
 公園のなかでは巨大なステージでライブがあったり、たくさんの屋台が出ていたが、私の目当てはサーカス。一度でいいからこちらのサーカスを見たいと思っていたので、これを目指して公園に行くと、当日券を求める人で超大行列ができていた。予約しておいてよかった。
 サーカスはシンプルだった。ライオンとかバイクとか空中ブランコのような大がかりなものはないけど、進行役のピエロのような人がうまく笑いを誘いながら、男女が次々技を披露する。ときどき失敗していたのも微笑ましい。入場のときは庶民的な少しボロい服で出てきた彼らが、裏できらびやかな服に着替えてからステージに出て観客を魅了し、退場するときはまた庶民の格好に戻って、客席に手を振りながら帰っていく。オルガンの音が響いていてどこか切ない。ホドロフスキーの映画を思い出した。という話を後日知り合いのチリ人にしたら、『サンタ・サングレ』の主役、アクセル・ホドロフスキー(監督の息子)が今年9月15日に亡くなったと知らされる。ホドロフスキーの映画のなかで『サンタ・サングレ』はけして嫌いになれない作品だった。
 サーカスの途中で写真を撮ろうと携帯を構えたとき、自分がまわりから浮いているなと意識した。カメラによって自分だけその場から離れている感覚。ちょっと居心地が悪いのは撮ることに慣れていないからだろうか。大勢の人が一体となっているデモなどを撮るときも、こういう疎外感はあるのだろうか。

 最近見た映画でいいなと思ったのは、チリの若手監督Francina Carbonellのデビュー作である『空が赤い』(El cielo está rojo)。2010年にチリの刑務所でおこり多数の死傷者を出した火事について、刑務所のなかの映像や裁判記録文書、監視カメラの映像など様々なアーカイブ素材を組みあわせながら再構成していく。この火事が単なる火事ではなく、どれほど歪な社会構造によっておこされた事件であるかを、人の痛みに触れながら、かといってそれを見世物的に晒すことなく、構造に回収させてしまうのでなく、つねにそこにあった恐怖とひとりひとりの生命と対話しながら映像にしていく過程がよい。完成まで相当な時間をかけたらしいが、これがデビュー作かと驚くほど重厚な作品だった。前に山形国際ドキュメンタリー映画祭で賞をとったチリの映画『十字架』もそうであるけど、冷たい記録的なアーカイブ素材からどのように映画をひきだしてくるかについて、チリのドキュメンタリーは相当進んでいる。乱暴にまとめてしまうが、私が見てきた日本のドキュメンタリーはセルフ・ドキュメンタリー、またはシネマ・ヴェリテ的な臨場感や素朴さに軸を置いている作品が多すぎて、綿密な調査をもとにした、ある種フィクション的な強い構成・語りをもったドキュメンタリーが少ない気がする。テロップの出し方や被写体との距離、音と映像の分離・接合など、ドキュメンタリーの手法はこちらではかなり多様なので、学んできたいと思う。

2022年9月24日土曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記③:サンティアゴの墓地、記憶・人権ミュージアム、クラブ

 9月9日から16日まで。この前から新聞の社会面みたいな内容が続くが、このころのチリはそうならざるをえないところがある。
  
 9月11日の寒い朝、先生と一緒にサンティアゴの墓地にあるアジェンデ大統領の墓へ行った。先生は毎年この日はここに来るらしい。車で向かう途中、墓地の近くにある市場で花を買い、多磨霊園のように広い墓地を歩いて、アジェンデの墓へ行く。この日はクーデターから49年目で、私たちが来たときはまだ花は少なかったが、帰るときにそこらじゅうの道路が閉鎖されていたから警察に訊くと、大勢のデモ参加者がアジェンデの墓をめざして進んできているらしい。
 この墓地は広々としているが、入り口のそばにあるのは立派なお堂のような墓で、奥に行くほど、壁一面にところぜましと並ぶ墓だったり、地面の狭いスペースにおさまる墓だったりと違いがはっきりしてくる。裕福な人とそうでない人とでお墓の作りが違う。一番奥のほうには、独裁時代に誘拐・殺害され、身元が分からなくなった人々の墓がある。石に刻まれた没年が1974年など同じ年・期間である墓もたくさんあったが、それはその時期にたくさん人々が捕まり、殺されたことの証だ。いつも日本で墓参りをするときは自分の家族の墓に行く感覚だけど、ここにいると、ひとりひとりの具体的な死者もそうだが、混沌として歪な記憶や歴史の塊みたいなものに包まれている気がする。同じ墓地のなかにあっても、それぞれの墓が発する声は統一されない。喪にも格差がある。死んでも思い出してもらえない人や、そもそも死んだのが誰であるのかすらわからない人がここにいることは忘れたくない。

 墓参りの前日は記憶・人権ミュージアム(https://web.museodelamemoria.cl/)へ行った。この日は、独裁時代の拷問を生き延びた人や行方不明者の家族と、拷問を行ったり指示した軍人の子孫が対話をするという、自分が聞いていいのか迷うデリケートな会があった。みな自分の非常にパーソナルな体験を話すので、痛切で時がとまるような語りの時間が流れる(予定時間を超えて3時間半くらいのイベントになった)。また、とくに加害者の子どもたちは、親族が人権侵害の加担者であったことによる様々な苦悩を泣きながらなんとか語ることによって、自分の複雑な立場を認め、受け入れようとしていた。「私たちは加害者でも被害者でもない、でも被害を受けた人とともに闘うことはできる」という言葉は力強かった。最後は両サイドによる、過去の加害の「非処罰」(impunidad)を許さず社会をよりよくしていこうという宣言が、会場の人々と繊細な言葉の選択をめぐって(たとえば、「赦し」(perdón)という概念はとても個人的なものなのでほかの表現に変えてほしい、など)議論しながら発表された。やはりここでも先日の国民投票の話が苦しそうに抱えられていたが、分断をまえにこうした活動を行い過去に耳をすませられることが、チリの人々がずっと記憶と向き合って運動を続けてきたことの成果なのだと思う。

 ほかには、サンティアゴのクラブに初めて行った。みんな大変真剣に踊っていた。私は去年たくさん踊ったので、前よりもクラブは楽しい。でも疲れた。みんなにノリよくあわせられるけど、そこまでパーティーが好きではなさそうな一緒に行った人(もう名前を忘れてしまった)が、「俺ははやくうちで寝たいんだよ、なんでこんなとこで踊ってるんだよ」とふと我にかえって泣きそうにつぶやいていたのが可愛かった。

2022年9月14日水曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記②    

ー2022年9月2日から2022年9月8日まで、その②ー
 
 この期間は大きな出来事があったから、もう一回書いておく。
 「君は大変な時にチリにきたね」とこちらでよく言われたけど、それは9月4日が新憲法の国民投票の日だったから。チリはいま36歳で学生運動出身のボリッチという大統領のもと左派が政権を握っていて、1980年のピノチェト時代に作られた憲法を改めることは彼らの悲願だった。女性や先住民の権利を保障し、人々の基本的な生活・福祉を守ることを記したこの憲法を日本のメディアはよく「急進的」と書いていたけど、当然守られるべきものをはっきり打ち出した画期的なものだったと思う。
 2019年に100万人以上も集まったチリ史上最大のデモのひとつの到達点ともいえるこの国民投票はまさに歴史的な出来事だったので、会う人会う人がみんなそわそわしている。とくに私が知り合う映画関係者は全員「apruebo(賛成)」派で、事前の調査では「rechazo(反対)」派が10%ほど優位だったのでピリピリしていた。9月4日は、前回も書いた先生の家に数名で集まって、バーベキュー(またの機会に書くけどチリの人はほんとうにバーベキューが好き)をしながら、投票の行く末を見届けようとなって、私も混ぜてもらった。
 あまり大きな報道はなかったが日本でもニュースが出ていたので先に結果を言うと、この新憲法は圧倒的な差で否決された。バーベキューをしながら開票速報を追っていくと、優勢と見られた都市部やボリッチの地元でもどんどん反対派が勝ち進める。みんなの顔が曇っていく。結局、賛成派は3割ほどで、6割以上の得票を得て反対派が勝利した。大勢が決すると、先生の家の庭は静まり返り、泣き出す人もいた。家の外では反対派が喜んで車のクラクションを鳴らしまくり(『チリの闘い』第1部冒頭の選挙戦での反アジェンデ派の行動を思い出した)、「チチチ・レレレ」と子どもが叫んでいる。
 だれもこんなに差がつくとは思ってなかった。チリの長年の社会運動の成果である新憲法とボリッチ政権(この投票は実質的に政権への評価も含んでいた)は多くの国民によって否定された。先生は「民主的なクーデターだ」とつぶやいたが、それくらいショックが大きかったんだろう。SNSに投稿された笑うピノチェトのGIF動画を見つけて、誰かが「ピノチェトの亡霊がよみがえった」と言った。たしかに報道では、憲法の内容よりも「チリを共産主義者に明け渡さない」とか「国民統合のため」とかまだそんなことを言っているのかと驚くような意見もたくさん見られた。それでもこの結果は重い。この敗北とこれからどう向き合っていくのか、チリの人と一緒に考えていきたい。

 パトリシオ・グスマンの新作『私の想像の国』(Mi país imaginario)を見たのは、この投票日から数日後だった。このタイミングでこの映画を見るのはつらい。先生の家では、「これでチリはグスマンにとってまさしく「私の想像の国」になった」と皮肉的に言っている人がいたが、2019年のデモを主題にするこの映画はボリッチ政権への期待と新憲法への希望を惜しげもなく映している。チリのシネマテークの広い劇場で私を含め5人ほどの観客がいて終わったあとに拍手がおきていた、その光景も悲しい。
 まだ時差ボケが解けておらず眠たいなかで見たので見直さないといけないが、それでもこの最新作は少々パンフレット的に過ぎるのでは?と思うところがあった。グスマンのフィルモグラフィ全体を貫く、良くも悪くもある両義的なポイントは、「客観」をとびこえた現実社会に対するときに過剰な「私的」介入の仕方だと思うのだけれど、今作はそれが物足りないというか表面的であっさりしているように感じた。日本では受けるかもしれない。でも、こちらではけっこう冷めた反応だし、それは『光のノスタルジア』で見せた、チリにいないのにチリ社会を撮るための想像力の飛躍みたいなものが影をひそめ、巨大な社会現象を追いかけることに専念しているからだろう。この映画に描かれることはわりともう知られていることが多い。ドローンの空撮は全体を見渡すにはもってこいだが、そうした上からの視点だけでなくもっと泥臭いなにかがほしかった。
 といいながら、ありえない規模の大群衆の映像は映画史的にも見たことがないもので、女性たちとのインタビューもよかったし、あとで見返したらちがう感想になるかもしれない。ただ、あたりまえのことだが、映画というのは状況によって大きくその印象が変わるし、時をこえる映画というのは作ることも見て判断することも難しいと感じた。グスマンはいまなにを考えているのだろうか。

2022年9月9日金曜日

うずうずチリ・サンティアゴ生活記 ①

ー2022年9月2日から2022年9月8日まで、その①ー

これからしばらくチリの首都サンティアゴに滞在するので、日々の経験を書いて残しておこうと思う。1週間に1回くらいブログにあげていきたい。

 1日に成田空港を出発して、メキシコで乗り継ぎ、現地2日の早朝にサンティアゴに到着した。こんなに飛行機の乗ったのは初めてだった。こちらで働いている同級生が迎えにきてくれ、食事や買い物に付き添ってくれて助かったけど、日本とは時差が12時間もあるから体が時間を受け入れられずきつい。
 宿でしばらくぐったりして夜に起き、そういえばこちらでお世話になるイグナシオ・アグエロ先生に電話しないとと思って電話したら、ちょうどうちでパーティーをやっているから今から来なよと誘われる。迷ったすえに這うように行ったら、先生の教え子や同僚がけっこう集まっていた。先生はステーキを焼き、大量の赤ワインをふるまってくれた。そこにいたのはみんな映画作家や映画研究者だったけど、日本で取り寄せて読んでいたチリ映画研究書の著者もいて感激した。
 けれどこの夜で一番よく覚えておきたいのは、「お気に入りの詩はなんですか?」と訊いたときに先生が身振りつきで朗読してくれた、ホルヘ・テイリエルの「Cuando todos se vayan(みんなが行ってしまうとき)」という詩。
SF的なイメージのなかで寂しさや懐かしさが静かに打ち寄せるこの詩はほんとうに美しい。日本を離れた飛行機のなかではぐるぐる考えてつらかったけれど、この詩の朗読を聞いていたらここにいるのもいいなと思えた。
 他にもいろいろあるけど今回はここまで。

2022年1月11日火曜日

2021年の活動まとめ

 【書いたもの】

・「証言映画としての『チリの闘い』――闘争の記憶を継承するために 」(映像学 106号)

・「破壊のあとの闘いーパトリシオ・グスマンとチリ映画史 」(『夢のアンデス』パンフレット)

・「孤独から現実を見つめる パトリシオ・グスマン監督インタビュー 」(キネマ旬報2021年10月下旬号)

・「映画からペルーを知る/ペルーから映画を知る」(キネマ旬報2021年12月上旬号 )

・「それでもふたりでいること――『死が訪れ、君の目をさらっていく』 」(ゆにここ プライド特集エッセイ)

・「歴史の再上映に立ち会う」(総合文化研究 (Trans-Cultural Studies) (24) )


【口頭発表したもの】

・「拡散する痕跡、収縮する記憶—チリにおける『記憶の場』の映画的表象をめぐって 」(第42回日本ラテンアメリカ学会定期大会)

・「『マタインディオス』トーク」(ペルー映画祭 2021年12月10日)


【字幕翻訳したもの】

・『アンデス、ふたりぼっち』

・『フロンテラ・アスール』(U-NEXTで配信中)

・『アンデスを織る女性たち』(U-NEXTで配信中)

・『オールド・タウン 憎しみの銃弾』(U-NEXTで配信中)

・『ロック・ボトム・ライザー』(イメージ・フォーラム・フェスティバル)

・『いのち播く女たち – 母たちの大地』(第8回グリーンイメージ国際環境映像祭 グリーンイメージ大賞)


【その他イベントなど】

・ぴあフィルムフェスティバルのセレクションメンバー(4回目)

・『ふゆうするさかいめ』トーク(住本尚子監督と、12月)

・スペイン語圏映画研究会sol@s(キノコヤにて)


2021年は査読論文を1つ出せたのと、パトリシオ・グスマン関係でいろいろと仕事をできたのがよかった。字幕もいくつかできた。一番がんばったのは黒川さんの映画。公開がとても楽しみ。2022年は留学準備と、それまでに論文を1つか2つは書きたい。

2021年10月18日月曜日

『ふゆうするさかいめ』住本尚子

 これはすでに監督本人や他の人が指摘していることだと思うけれど、この映画に出てくる人たちは劇中でそんなにずっと眠っているわけではない。ねむくてねむくてたまらないはずのマリノは、たとえパジャマのままであろうとも、朝になると喫茶店に出勤する。横たわる彼女の姿と同じくらい、街をゆくシーンの気怠そうだけどたしかな彼女の歩みが印象に残っている。営業に向いてなさそうなマモルや、つかみどころのない明るさがあるミノリにしても、日々働いて、生活を組み立てようとしている。

 でも、彼らの体の奥のほうには得体の知れないなにかがつねに眠っている気配がある。それは記憶や感情といった曖昧で捉えようのないものたちだ。過去から溜まってきたそれらの堆積物は、ときおり目に見えるサインとして表に出てくる。マリノにできた赤黒い床ずれ、マリノがはじめてマモルを意識したとき彼の背中にみた蠢めく皺、ミノリが領収書の切れ端に書かれた数字の0にみとめたマリノの筆跡、そしてマリノの目に映る「残像」としての両親の影。夢のようなふわふわしたイメージとしてよりも、より物理的で触覚的、ときに聴覚的な痕跡として、それらは現れる。マリノたちは今を生きながらずっと過去を背負っていて、それゆえ自分や他人が残していく標に敏感に気づき、引き寄せられてしまうのかもしれない。

 人の記憶というのはやっかいだ。思い出したい記憶を浮かべ、そうでない記憶を沈めようとしても、なかなかうまくいかない。私の場合、夢でみる過去の記憶は後味の悪いものが多く、だからその日みた夢はすぐに忘れてしまうか、覚えていてもあまり人に話せない。感情にしたってすべてコントロールはできないから、なかったことにしてやり過ごすこともしてきた。日々を生きていくためにはいったん忘れておかないといけないことがたくさんある。マリノも公園の砂場に携帯電話としての過去を埋め続けることでこれまでなんとかやってきたのだろう。

 その均衡は、それぞれの記憶や感情が掘り起こされて触れあうことで危うくなる。マリノの過去に迫ろうとすることで、ミノリとマモルの関係はだんだん不安定なものになっていくようにみえる。マリノも彼らに出会うことで、体に眠っていた記憶が目を覚まして勝手に動きだすように、ダンスをしたり、残像が見えたりするようになる。

 記憶が触れあう、と書いたけれど、この映画は、誰かの記憶とほかの誰かの記憶を簡単にひとつに溶け合わせたりはしない。「ふゆうするさかいめ」というタイトルだし、次になにがおこるかわからない映画だから、ここではいろいろな境目がなくなってしまうのだと思いたくなるが、各々の「記憶の境目」はたしかにある。ミノリが「私にとってはマリノと過ごしたすべてが大切」と告げても、いまのマリノはよく覚えてないし素直にそう思えないだろう。マモルがふたりの出会いの記憶を鮮明に覚えているつもりでも、「それはあなたの記憶でしょ」と言われてしまうだろう。

 川上弘美に「境目」というタイトルのエッセイがある。境目を引くことはときに困難なものを呼び寄せるかもしれないが、それでも、たとえば季節がそうであるように、「みんな一緒」ではなくそれぞれの存在を慈しむためにも境目は悪くないものなのだそうだ。昨日と今日、忘れたいことと覚えておきたいこと、私の記憶とあなたの記憶。それらに区別をつけることで、私たちは自らの生を守っている。

 でも、『ふゆうするさかいめ』はそれらの境目が永久不変ではないことを示してくれる。境目は消えるのではなくて、そこにまだあるけどあり方や捉え方が変わっていくものではないか。あなただけの記憶と思っていたものが、いつかわたしにもわかるかもしれない。忘れたいと思っていたことを、思い出してもいいと思えるようになるかもしれない。親に習わされたダンスを、自分のものとして友達と踊りたくなるかもしれない。ミノリがマリノの家で見たものがマリノが見ているそれとは厳密にはちがってもなんとかなっているように、ふたりのあいだに境目はあってもいっとき心を通わせることはできる。

 この映画は境目をむりやり溶解させるのではなく、自然な変化にまかせている。忘れたいことはそのまま忘れて生きてもいいのだと優しく肯定してくれる。でも同時に、ある記憶をどうしても忘れられないこともまた、肯定してくれているように思う。それがつらい記憶であっても、身について忘れられないものはしょうがないし、私たちはなんとかそれと一緒にいるしかない。裂かれた布団から舞う羽毛を頭や服にくっつけながら、階段を降りてそれぞれの場所へ進むマリノたちを見てそう思った。布団につまった羽毛は、ままならない記憶の残滓だったのだろうか。かつてあったあらゆる記憶は、それが良いか悪いかにかかわらず、私たちを構成する一部だ。

 小学校の校庭で並んで横たわる3人の姿は切ないけれどすがすがしい。劇的に変わったものなどないが、ここからはじめることができるかもしれないと少しでも思えることが大事だ。これから忘れてもいいし覚えていてもいい。その線引きは絶対ではない。忘れてしまった記憶の痕跡や、忘れられない記憶を抱えた体を引きずって今を歩む私たちを、この映画はそっと包んでおくりだしてくれる。

2021年10月1日金曜日

Rosario Bléfari "Estaciones" : ロサリオ・ブレファリ「季節」試訳



por la costumbre de verte
あなたとよく会うようになって

me empezó a gustar tu suerte y tu vida
あなたの境遇と生き方が好きになった

demasiado cerca de la mia
私のとあまりに近かったから

decímelo otra vez
もう一度言って

no entendí nada
なにもわからなかった

me distraen sin remedio
どうしようもなく見つめてしまう

tus labios que se abren
あなたの唇が開いて

y se cierran
閉じる

y se abren y no hay nada mas
また開く それだけを

y no hay nada mas
ただそれだけを

próxima estación: verano
次の季節は夏



apago la alarma de nuevo
またアラームを消す

subo la luz para verte
あなたを見るため明かりを強くする

algo me dice que estás lejos de aca
あなたはここから遠いところにいるんだって

demasiado lejos
遠すぎるところに

próxima estación: otoño
次の季節は秋



pensar que ayer crei morir
昨日は死んでしまうかと思った

me parece que puedo seguir
でも大丈夫そう

un capítulo me hizo sonreir
ドラマを見て笑った

si me equivoque, mejor o peor
間違っていたとしてもいい

quién tiene acaso todo asegurado
万全な人なんてどこにいるの

próxima estacion: invierno
次の季節は冬



un tatuaje equivocado
間違ったタトゥー

borrarlo duele
消すのは痛くて

es complicado
やっかい

no me curo si no aguanto
治るためには耐えないといけない

hasta que despierte en otro lado
向こう側で目覚めるまで



próxima estación
(un tatuaje equivocado)
次の季節
(間違ったタトゥー)

próxima estación:
(borrarlo duele, es complicado...)
次の季節は
(消すのは痛くて、やっかい)

primavera sin tu amor
あなたの愛がない春

2021年7月24日土曜日

スペイン語圏映画研究会「sol@s」

現在、月に1回くらいのペースでスペイン語圏(ラテンアメリカやスペイン)の映画を見てお話する会「sol@s」(「ソロス・ソラス」とよみます)を、東京の西側で開いています。日本で公開されていないマイナーだけど大事な作品を全員で見て、その後担当者が解説をして皆で感想を言い合うという形をとっています。このブログを見ていて参加したいという珍しい方がもしいましたら、ご連絡ください。この状況下なのでなかなか大勢では集まれませんが、こじんまりと続けていきたいと思います。

2021年6月7日月曜日

石田智哉『へんしんっ!』(オープン上映)を観て

 少し前に石田智哉監督『へんしんっ!』の試写会に行った。普段はめったに試写状なんてもらわないからこういう機会は嬉しい。『へんしんっ!』は、電動車椅子を使って生活する石田監督自身が「障害者の表現活動」について知ろうと、様々な人々と出会っていく映画だ。この作品は試写会でも6月からの映画館での公開でも、映画本編に日本語字幕と音声ガイドが付く「オープン上映」という形式をとる。従来の映画だと「バリアフリー上映」として限定的に行われてきた形式を、同じ空間で観客全員がひとしく体験することになる。私はこの作品自体はすでに昨年のPFFで見ていたけれど、それが「オープン上映」によってどのような鑑賞体験へ変わるのか気になっていた。結果として映画が終わったあとに感じたのは、これはまったく新しい映画経験かもしれないということだった。この「オープン上映」について、会場でもらった資料には「石田智哉監督が探求したものを表現するため」と説明がある。作品内容については同じ資料に伊藤亜紗や想田和弘による充実したレビューが載っていたので、ここではひとりの観客としてこの上映を体験して感じたことを綴ってみたい。まとまりがなくてうろおぼえのところもあるがそのあたりはごめんなさい。

 まず、映画冒頭で配給会社である東風のロゴが出て、その説明が音声ガイドで流れたときから、おおっとなった。ほんとによく覚えていないのだが「銀色の文字が風で〜」みたいにロゴの動きまで詳細に述べていて、臨場感というか、たしかにこういうロゴだったなと、これまで何度も見てきたロゴのあり方をはじめて意識した。このように、『へんしんっ!』では人物や物の配置や動作などの視覚的な情報は音声ガイドによって捕捉され、作品内の音声情報(人々の会話や環境音)については日本語字幕が投影される。
 健常者といえる私にとって、字幕と音声ガイドがつねにある状態は、情報が溢れていて大変だなと最初は思った。字幕は慣れればそこまで気にならないかもしれないが、会話の合間を縫うように入ってくる音声ガイドは詳細な説明を映像に対して加えているので、気にならないといえば嘘になる。一般的にドキュメンタリーでは、セリフやナレーションですべてを説明してしまう作品はあまり評価されず、あいまいで多様な意味をもつ現実をできるだけ、その複雑性をそのまま映像や音響で示し、観客に想像の余地を残すほうがよしとされていると思うが、その物差しをあてはめるとこの上映はあまり評価されないだろう。
 けれど、そうした評価基準はひとつの健常者よりの目線にすぎないと思った。映画を見て感じたことを書いたり、その作品を評価するとき、しらずしらずのうちに私はある一定の観客の身体を前提とし規範にしているのだと、この上映の途中で気づいた。映画を受容する人々のなかには、視覚障害や聴覚障害をもっている人もいる。その人たちにとっての映画体験は私のそれとは当然ちがってくるだろう。というより、あたりまえだが、私ではない身体をもったあらゆる観客の体験は私の体験とは異なるだろう。映画史や映画理論を少しでもかじれば、観客は普遍的なひとまとまりの属性にまとめられるのではなく、様々な出自や身体、アイデンティティをもった存在だとわかるのに、障害を持つ観客についてはこれまで全然意識してこなかった。
 『へんしんっ!』の作品テーマは、個々人の身体のちがいに気づきながら、その接点を探ることだと思うが、その実践は鑑賞のレベルでも目指されているのではないか。そう思ってから、『へんしんっ!』のオープン上映は私にとって、私とはちがう身体をもった人々の映画体験を想像しうるものとして働きはじめた。すぐれた野球の実況中継のように的確な音声ガイドのリズムにのって製作陣の焦点をうかがいながら、映像と音声、字幕の関係(映像の単なる答え合わせの字幕や音声ではなく、ずれているところもあって面白い)を気にして映画を楽しむこともできるが、それ以上に、このシーンをなるべく聴覚だけで感じたらどうだろう、視覚だけで捉えたらどうだろう、というふうにいろいろな受容を想像し、体験できるのが新鮮だった。製作者や出演者にとってこの映画のなかでの体験は人それぞれちがっただろうし、観客にとってもこの映画の受け取り方は様々であると思う。そのことを意識することで、いま見てる映像や聞こえる音が少しちがうようにして体に入ってくる。もちろん、作中で美月さんが述べるような鋭敏に「見る」感覚は私には備わっていないが、それでもなんとか想像だけはしてみたくなる。このように、自分とは違う身体をうっすらと自分の身体のうえに重ねて映画を観るという体験ははじめてだった。そういった見方をすることで、映画の終盤のダンスで美月さんが身体を持ち上げられたときに発する「うわっ」という声や表情に宿るよろこばしい触覚の手触りもなんとなくわかるような気がした。
 ここまでいろいろ書いているが、やはり「障害をもっている人」というくくりでカテゴライズして、とある鑑賞体験をまとめてしまうことは乱暴だろう。ナレーションで全部説明されればよいと思わない人もいるだろうし、これを機会にできるだけたくさんの方の映画の見方・聞き方を知りたいと思った。

 最後に少し映画の内容に触れると、この映画は新しいかたちのセルフドキュメンタリーであるように思った。原一男みたいに確固とした社会に対抗する確固たる自分という問題意識でも、近年のセルフドキュメンタリーにみられるあやふやな自己から出発してたしかな何かを探求するといった仕方でもこの映画はくくれない。作中で徐々に石田監督という「個」はたしかに立ち上がっていくのだが、それはつねに、すでに石田監督のまわりにある、または映画製作を通じて出会っていく複数の他者の存在を介して、つまり他人を知ることで自分を知るというたえざる往還においてなされている。現実社会に「私」という個人で対峙するのではなく、もうひとつの即興的かつゆるやかな社会=共同体を立ち上げているともいえる。そして、その過程が映画製作の根幹にあることで、映画という制度のなかにある協働のあり方も自己反省的に問い直していると思った。「個にこもらず、でも他人に寄り添いすぎず」という砂連尾さんの言葉のように、完全な自立か他者への従属かという二項対立とはちがうところで、自分という存在を取り巻き構成している人々・物(この映画における車椅子や杖の存在を考えてみることも面白そう)の存在を知り、それを自らの理解へと織り込むことで各々が主体を形成していくこと。私たちが生きたり映画を撮る上で依って立ついろいろなかたちの依存関係を、複数の身体のレイヤーを透かせて知覚し、露呈させること。熊谷晋一郎は「自立とは依存先を増やすこと」と言っていたと思うが、その意味で本作は真にインディペンデントなセルフドキュメンタリーだと思う。

2021年1月7日木曜日

2020年の活動まとめ

【 2020年に書いたもの】

・修士論文「キューバ映画の公共圏ー1960年代を中心に」

・『タゴール・ソングス』作品評(映画パンフレット)

・『アボカドの固さ』作品評(映画パンフレット)

・『眠る虫』作品評(web)https://www.nobodymag.com/journal/archives/2020/0904_1301.php

・「われ発見せり」『ユリイカ』2020年12月号


【2020年に発表したもの】

・科研研究会 社会主義文化のグローバルな伝播と越境「1960年代キューバ映画と社会主義圏の交流」(2月)

・日本ラテンアメリカ学会東日本研究部会「チリにおける『サード・シネマ』の展開」(12月)


【その他イベントなど】

・ぴあフィルムフェスティバルのセレクションメンバー(3回目)

・『タゴール・ソングス』トーク登壇(佐々木監督と、6月)

・キノコヤ『エル・スール』上映会トーク登壇(遠山純生さん、三宅隆司さんと、12月)


2021年こそは査読論文を通したい。そのためにはもっと勉強時間を増やさないといけない。あとは上映会をやりたい。字幕もやりたい。1日1日を大切にしよう。

2020年12月23日水曜日

セルゲイ・ロズニツァ『アウステルリッツ』

 最初のほうのカットでアウステルリッツを訪れた観光客がたむろしてガヤガヤ話しているのをみたとき、こんなにたくさんの人の動きや声をきちんと捉えることはできるだろうかと少し圧倒されたのを覚えている。次から次へとやってくる観光客が思い思いにしゃべったり、行動している。このときの録音は、彼らの話している言葉そのものよりも、全体的なガヤガヤとした乱雑な音の流れを強調していて、これを90分ずっと知覚していくのはなかなか大変だぞと思った。
 しかし、やがて彼らが収容所の跡地に足を踏み入れ観光をはじめると、かれらの声や動作の複雑さはだんだんと統一され、ひとまとまりの「群衆」を彼らは形成していく。たぶんこの映画を見た人の多くが指摘し、いやな気分にもなるだろう、観光客が自撮りをしたりけらけら笑ったりする、ある種の軽薄な態度も目につくが、そういうふうにたいして真剣にホロコーストの記憶に向き合っているようには見えない彼らでさえも、なにかに操られるようにしてぞろぞろ列をなして収容所を巡っていく光景はかなり異様だ。まるでなにかの儀式のように、膨大な数の人々が決まりきった手順とルートを守って、一つの場で動作を反復させている。この儀式のルールから外れる人たちは作中にはあまり見当たらなかった。ある場面で子供が母親に「そっちへ行っちゃだめでしょ」と言われていたのが印象に残っている。
 歴史を学ぶ態度がなっていないといって彼ら観光客を批判することは簡単だろう。しかし、それだけでは済まされないような状況をこの映画は記録している。いったいなにがかれらを動かしているのか。この儀礼的な集団を形成させているものはなんなのか。そう思いながら画面上をすぎゆく人々を見つめていて感じたのは、記憶という責務に示す彼らの退屈と疲弊だった。神妙な顔をしながらアウステルリッツの地を進む彼らが時折おどけたりはしゃいだりするのは、ホロコーストという人類の悪を突きつけられたときの一種の防衛機制だろう。ガイドたちの説明は理路整然としていて、この地でなにがおこったかを「第三者」の目線からしっかり解説してくれるが、その早口の解説を聞く観光客は、そこで受け取ってしまったものをどう処理すればよいのか困っているように見えた。情報として処理してしまえないなにかを彼らは感じ取っているのではないか。でも、その感覚をどうすればよいのかわからないので、みなで似通った反応をしてやりすごそうとしている。だから、この映画の中盤で、周囲の音を鎮まらせてカメラが捉える、画面外のある対象を見つめる人たちの真剣にみえる顔と、ツアー途中で照れたように笑う人たちの顔は表裏一体のもので、退屈になってしまいそうな時間をメリハリつけてやりすごすための一連の身振りなのだ。過去のすさまじい記憶をすんなりと受け取ってしまえること、またはそれを退屈に過ごしてしまえることに気づいて、当時から遠く離れた時点にいる彼らはそれをどう扱えばいいのかわからない。それでも、記憶を辿るルートは非の打ち所がなく定められていて、進むしかない。そのうち彼らは疲弊して、ゾンビのごとく行進する集団になっていく。
 これはポール・リクールがいうような記憶の義務なのかもしれない。みなで記憶しなければならない、考えなければならないという倫理的な義務感が先走ってしまって、どう記憶すればよいのか、なぜ記憶しなければならないのかを考えるひまがない。この義務感が記憶をめぐる群衆=観光客を形成させる動力源のひとつだろう。または、そういった義務感や使命感と対にある、「なんとなく来た」という気まぐれな感覚もその地に人の足を運ばせるきっかけになる。そうした義務感と気まぐれのあいだに立って、第三者なりに記憶と向き合う姿勢こそがいま問われているはずだが、その答えのありかをこの映画は示さない。この映画に出てくる人たちがほんとうのところなにを考えているかはわからないが、たとえばもの思いにふける人物を長回しで映すなりして、模範的な記憶の考え方を提示することをこの映画は選ばなかった。そのかわりに、この地点からはじめる以外にはないんだということだけを強く映している。想像を絶するほどの過酷な記憶が、当たり前のように整理され、受け取られていくこと。その状況にみなが知らず知らずのうちに退屈し、疲弊していること。世界中のあらゆる場所でおこっている歴史認識の論争の裏にはこんな事態が進行している。これは歴史や記憶の風化というよりも慣れの問題だろう。ホロコーストの記憶の問題は、表象の適切さや不可能性といったテーマをこえて、そうした局面に入っている。

2019年12月9日月曜日

サンティアゴ・アルバレス『今!』(1964)


 もう何十回と見ている作品。レナ・ホーンの歌の歌詞もわかってるし、だいたいどんな写真がそれに合わせてコラージュされるかもわかってるんだけど、それでも見るたびにパワーをもらう。この映画にはアルバレス映画の真髄が凝縮していると思う。写真の操り方は、この映画でだいたい完成している。アニメーション的に、静止した写真を組み合わせて動きを引き出したり、ぐぐっとズームして一枚の写真のなかでフレーミングを重ねて物語をつくりだしてしまう。たぶんアルバレスはこの映画で新しい映像とか素材はなにも使ってない。既存の他人の素材を自らのアジテーションに転化させるその大胆さがすごいし、それでもそこに映っている人々の声を捻じ曲げたり搾取したりはしないのがいい。米国の権力者たちは徹底して対象化して弄ぶけど、弾圧される黒人たちの声(写真だから聞こえない)はレナ・ホーンの歌声にかき消されることがなく、彼女とともに共鳴してさらに増幅する。

 怒りや憎しみ、希望といったいろんな感情がごちゃまぜになったインパクトを、この映画からはもろに受ける。それはアルバレスの感情であり、レナ・ホーンの感情であり、名も知れない黒人たちの感情であり、また彼らに連帯する無数の者たちの感情である。そうやってこの映画の情動はどんどん伝染して、大きくなる。歌詞には「この歌のメッセージはとことん明快」とあって、確かにそうなんだけど、それでもこの映画がいつも新鮮なのは、無数の人々の情動が不定形のままでうずまいているからだと思う。プロパガンダ的な固定された情報としての明快さではなくて、時代や国を飛び越えて変化していく感情の源がある。黒人たちの闘いは今もぜんぜん終わらないし、彼らと同じ気持ちを抱いた人たちの闘いが続くかぎり、この映画はこれからもずっと新しいままだろう。いつだって彼らといっしょに「NOW!」と叫んで闘いをはじめられる。