2024年9月5日木曜日
太田達成『石がある』
2024年5月5日日曜日
ビクトル・エリセ『瞳をとじて』
2023年7月9日日曜日
うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑩:「姉妹の力」ー美味しいマプーチェ料理
ひとりの学生としてなかなか懐具合も厳しいところ、料理がビビッ!と「美味しい」と感じるレストランにサンティアゴでめぐりあうことはなかなか難しいけど、この前行ったマプーチェ料理のお店はすばらしかった。NEWEN LAMNGEN、マプーチェ語で「姉妹の力」という名前のこのカフェ・レストランは、ティルソ・デ・モリーナ市場という小さな市場の2階にひっそりある。サンティアゴには『地球の歩き方』にも載っていて観光客が多い中央市場と、チリ人でごったがえしている巨大なベガ市場という二つの有名な市場があるが、その間にある小さな市場にある。
新鮮な野菜のサラダ、揚げたてのソパ・イ・ピージャ(揚げパン)とメルケン入りサルサソース、分厚い骨つき豚肉をピリ辛ソースでオーブンでじっくり焼いたものとたっぷりのポテト、カスエラ(大きな牛肉やじゃがいも、かぼちゃ、とうもろこしがごろごろ入ってるチリの名物スープ)。ぜんぶ心のこもった味でほろほろと美味しかった。店主の女性も優しくていい人だったけど、ウェブ記事を読むと自身のルーツのマプーチェの文化や料理を伝えようと、協働的なかたちでお店を運営し、文化活動も行なっているみたい。
サンティアゴに来たときはぜひ行ってみてください。次に行くときは、記事の写真にも載ってるプルマイ(チロエ地方の料理で、蒸した魚介や野菜や肉をスープみたいにしたものらしい)を食べてみようと思う。
2023年7月1日土曜日
うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑨:近況、「私たちは痕跡だ」
気づいたら最後にブログを更新したのが1月になっていた。もう7月なので、サンティアゴにいられるのもあと2ヶ月もない。博士論文を書くための調査に来ていて、だいたいの方向性と書く内容が固まったのはよいけど、ここのところあまり調査そのものは進んでない気がする。6月は高熱が一週間ほど続いて(インフルエンザらしかった)、そのあと大雨でうちが停電しているなかホテルに駆け込んで日本との夜通しのzoom会議を二日続けてやったらまた熱が出たりしてかなりきつかったが、ここからは少し頭を切り替えて、できるだけ本を読んだり映画を見たり、人と会っていきたい。
これまで何度も書いているけれど今年はクーデターから50年目なので、あちこちでそれにちなんだイベントが行われている。この前、6月29日は50年前のクーデター未遂についての上映会がチリのシネマテークで行われた。『チリの闘い』を見たことがある人なら覚えていると思うが、第2部と第3部で映される、カメラマンのレオナルド・ヘンリクセンが自らの死を記録した映像をめぐる証言ドキュメンタリーと、当時のニュース映画の上映があった。カメラに向けて兵士が発砲し、やがて撮影者の身体とともに崩れ落ちていくあの映像は一度見たら忘れられない。イベントでは、当時の現場にたまたま居合わせた録音技師と、一連の事件について当時ニュース映画を作った人のお話があった。特に後者のニュース映画はよくできていて、あまり準備する時間もなかったろうにさまざまな角度からの記録映像がつなぎあわされ、かつ直線的な編集ではなく軍部を批判するようなコラージュ(ナチスの映像をつなげたり)もきかせている。使われている音楽や編集の仕方が、あきらかにサンティアゴ・アルバレスのニューズリールを意識していて、やはり彼の影響は大きかったのだと思った。それにもましてすごかったのは、上映後のお話でニュース映画の監督が当時の撮影状況をたいへんスリリングに詳細に話していたことだった。どこに立っていたか、誰からカメラを渡されたか、といった一刻一刻を細かく早口で述べていって、こんなに覚えていられるのかと驚いた。
ヘンリクセンの映像をよく見ると、彼に向かって撃った兵士は3人いた。誰の弾が当たったのかはわからないが、ヘンリクセンが一人目が撃ったあとも記録を続けようとしたことはたしかだ。兵士全員、撃つまでの動作がスムーズというか「とりあえず撃っとくか」みたいにさりげなくて、それが怖かった。
GAMという大きな演劇、アートスペース(https://gam.cl/)はクーデター50年目の一連の取り組みのキャッチコピーを「私たちは痕跡だ」(Somos huellas)としている。いい言葉だと思った。
2023年1月24日火曜日
うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑧:引き継がれるアリシア・ベガの映画教室
2022年12月9日金曜日
うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑦:いろいろ近況、『にわのすなば GARDEN SANDBOX』見てね!
2022年11月11日金曜日
うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑥:『Sobre las nubes』『Notas para una película』『1976』
2022年10月15日土曜日
うずうずチリ・サンティアゴ生活記⑤:バルディビア映画祭、山﨑樹一郎『やまぶき』、カルラ・シモン『アルカラス』
サンティアゴからバスで10時間ほど南に行ったところにあるバルディビアという街の映画祭に参加している。きれいな川と深い緑、あとおいしい地ビールが有名な美しい街で、ここで住めたら素敵だろう。ビールはなにを頼めばよくわからないからおすすめをききつつかたっぱしから飲んでいるけど、どこでどれを飲んでもおいしい。バルディビア映画祭は今年で29年目で、それぞれの会場のスクリーンも大きく音もよく、プログラムも独自の視点で世界中の個性的な作品が集められている。オペレーションもスムーズでこういう映画祭が日本にも増えたらいいのに。
オープニングセレモニーでは、バレリア・サルミエントが人民連合時代に撮って以来失われたと思われていた『色とりどりの夢』(Un sueño como de colores)が上映されて感激した。サンティアゴのストリッパーを記録したこの映画は、冒頭のカラー映像やタイトル画面から華やかで、他の革命映画とは一線を画しており、彼女たちの窮状を訴えながらも誇らしい仕事として見事に映画にしている。
他にもメキシコのフェミニズム映画コレクティブの映画や、ラテンアメリカの短編映画コンペ、アルゼンチンのAna Poliakの特集など見ているけど、どれも水準の高い作品たちと確固とした視点の特集で、おもしろい。フェルナンド・ソラナスとも仕事をしてきたPoliakの『¡Que vivan los crotos!』は、鉄道が中心の美しいショットと証言の組み合わせがすばらしいドキュメンタリー。
2022年10月5日水曜日
うずうずチリ・サンティアゴ生活記④ チリのサーカス、『空が赤い』
2022年9月24日土曜日
うずうずチリ・サンティアゴ生活記③:サンティアゴの墓地、記憶・人権ミュージアム、クラブ
2022年9月14日水曜日
うずうずチリ・サンティアゴ生活記②
2022年9月9日金曜日
うずうずチリ・サンティアゴ生活記 ①
ー2022年9月2日から2022年9月8日まで、その①ー
2022年1月11日火曜日
2021年の活動まとめ
【書いたもの】
・「証言映画としての『チリの闘い』――闘争の記憶を継承するために 」(映像学 106号)
・「破壊のあとの闘いーパトリシオ・グスマンとチリ映画史 」(『夢のアンデス』パンフレット)
・「孤独から現実を見つめる パトリシオ・グスマン監督インタビュー 」(キネマ旬報2021年10月下旬号)
・「映画からペルーを知る/ペルーから映画を知る」(キネマ旬報2021年12月上旬号 )
・「それでもふたりでいること――『死が訪れ、君の目をさらっていく』 」(ゆにここ プライド特集エッセイ)
・「歴史の再上映に立ち会う」(総合文化研究 (Trans-Cultural Studies) (24) )
【口頭発表したもの】
・「拡散する痕跡、収縮する記憶—チリにおける『記憶の場』の映画的表象をめぐって 」(第42回日本ラテンアメリカ学会定期大会)
・「『マタインディオス』トーク」(ペルー映画祭 2021年12月10日)
【字幕翻訳したもの】
・『アンデス、ふたりぼっち』
・『フロンテラ・アスール』(U-NEXTで配信中)
・『アンデスを織る女性たち』(U-NEXTで配信中)
・『オールド・タウン 憎しみの銃弾』(U-NEXTで配信中)
・『ロック・ボトム・ライザー』(イメージ・フォーラム・フェスティバル)
・『いのち播く女たち – 母たちの大地』(第8回グリーンイメージ国際環境映像祭 グリーンイメージ大賞)
【その他イベントなど】
・ぴあフィルムフェスティバルのセレクションメンバー(4回目)
・『ふゆうするさかいめ』トーク(住本尚子監督と、12月)
・スペイン語圏映画研究会sol@s(キノコヤにて)
2021年は査読論文を1つ出せたのと、パトリシオ・グスマン関係でいろいろと仕事をできたのがよかった。字幕もいくつかできた。一番がんばったのは黒川さんの映画。公開がとても楽しみ。2022年は留学準備と、それまでに論文を1つか2つは書きたい。
2021年10月18日月曜日
『ふゆうするさかいめ』住本尚子
これはすでに監督本人や他の人が指摘していることだと思うけれど、この映画に出てくる人たちは劇中でそんなにずっと眠っているわけではない。ねむくてねむくてたまらないはずのマリノは、たとえパジャマのままであろうとも、朝になると喫茶店に出勤する。横たわる彼女の姿と同じくらい、街をゆくシーンの気怠そうだけどたしかな彼女の歩みが印象に残っている。営業に向いてなさそうなマモルや、つかみどころのない明るさがあるミノリにしても、日々働いて、生活を組み立てようとしている。
でも、彼らの体の奥のほうには得体の知れないなにかがつねに眠っている気配がある。それは記憶や感情といった曖昧で捉えようのないものたちだ。過去から溜まってきたそれらの堆積物は、ときおり目に見えるサインとして表に出てくる。マリノにできた赤黒い床ずれ、マリノがはじめてマモルを意識したとき彼の背中にみた蠢めく皺、ミノリが領収書の切れ端に書かれた数字の0にみとめたマリノの筆跡、そしてマリノの目に映る「残像」としての両親の影。夢のようなふわふわしたイメージとしてよりも、より物理的で触覚的、ときに聴覚的な痕跡として、それらは現れる。マリノたちは今を生きながらずっと過去を背負っていて、それゆえ自分や他人が残していく標に敏感に気づき、引き寄せられてしまうのかもしれない。
人の記憶というのはやっかいだ。思い出したい記憶を浮かべ、そうでない記憶を沈めようとしても、なかなかうまくいかない。私の場合、夢でみる過去の記憶は後味の悪いものが多く、だからその日みた夢はすぐに忘れてしまうか、覚えていてもあまり人に話せない。感情にしたってすべてコントロールはできないから、なかったことにしてやり過ごすこともしてきた。日々を生きていくためにはいったん忘れておかないといけないことがたくさんある。マリノも公園の砂場に携帯電話としての過去を埋め続けることでこれまでなんとかやってきたのだろう。
その均衡は、それぞれの記憶や感情が掘り起こされて触れあうことで危うくなる。マリノの過去に迫ろうとすることで、ミノリとマモルの関係はだんだん不安定なものになっていくようにみえる。マリノも彼らに出会うことで、体に眠っていた記憶が目を覚まして勝手に動きだすように、ダンスをしたり、残像が見えたりするようになる。
記憶が触れあう、と書いたけれど、この映画は、誰かの記憶とほかの誰かの記憶を簡単にひとつに溶け合わせたりはしない。「ふゆうするさかいめ」というタイトルだし、次になにがおこるかわからない映画だから、ここではいろいろな境目がなくなってしまうのだと思いたくなるが、各々の「記憶の境目」はたしかにある。ミノリが「私にとってはマリノと過ごしたすべてが大切」と告げても、いまのマリノはよく覚えてないし素直にそう思えないだろう。マモルがふたりの出会いの記憶を鮮明に覚えているつもりでも、「それはあなたの記憶でしょ」と言われてしまうだろう。
川上弘美に「境目」というタイトルのエッセイがある。境目を引くことはときに困難なものを呼び寄せるかもしれないが、それでも、たとえば季節がそうであるように、「みんな一緒」ではなくそれぞれの存在を慈しむためにも境目は悪くないものなのだそうだ。昨日と今日、忘れたいことと覚えておきたいこと、私の記憶とあなたの記憶。それらに区別をつけることで、私たちは自らの生を守っている。
でも、『ふゆうするさかいめ』はそれらの境目が永久不変ではないことを示してくれる。境目は消えるのではなくて、そこにまだあるけどあり方や捉え方が変わっていくものではないか。あなただけの記憶と思っていたものが、いつかわたしにもわかるかもしれない。忘れたいと思っていたことを、思い出してもいいと思えるようになるかもしれない。親に習わされたダンスを、自分のものとして友達と踊りたくなるかもしれない。ミノリがマリノの家で見たものがマリノが見ているそれとは厳密にはちがってもなんとかなっているように、ふたりのあいだに境目はあってもいっとき心を通わせることはできる。
この映画は境目をむりやり溶解させるのではなく、自然な変化にまかせている。忘れたいことはそのまま忘れて生きてもいいのだと優しく肯定してくれる。でも同時に、ある記憶をどうしても忘れられないこともまた、肯定してくれているように思う。それがつらい記憶であっても、身について忘れられないものはしょうがないし、私たちはなんとかそれと一緒にいるしかない。裂かれた布団から舞う羽毛を頭や服にくっつけながら、階段を降りてそれぞれの場所へ進むマリノたちを見てそう思った。布団につまった羽毛は、ままならない記憶の残滓だったのだろうか。かつてあったあらゆる記憶は、それが良いか悪いかにかかわらず、私たちを構成する一部だ。
小学校の校庭で並んで横たわる3人の姿は切ないけれどすがすがしい。劇的に変わったものなどないが、ここからはじめることができるかもしれないと少しでも思えることが大事だ。これから忘れてもいいし覚えていてもいい。その線引きは絶対ではない。忘れてしまった記憶の痕跡や、忘れられない記憶を抱えた体を引きずって今を歩む私たちを、この映画はそっと包んでおくりだしてくれる。
2021年10月1日金曜日
Rosario Bléfari "Estaciones" : ロサリオ・ブレファリ「季節」試訳
demasiado cerca de la mia
decímelo otra vez
no entendí nada
me distraen sin remedio
tus labios que se abren
y se cierran
y se abren y no hay nada mas
próxima estación: verano
apago la alarma de nuevo
subo la luz para verte
demasiado lejos
me parece que puedo seguir
si me equivoque, mejor o peor
quién tiene acaso todo asegurado
un tatuaje equivocado
borrarlo duele
es complicado
no me curo si no aguanto
hasta que despierte en otro lado
(un tatuaje equivocado)
próxima estación:
(borrarlo duele, es complicado...)
2021年7月24日土曜日
スペイン語圏映画研究会「sol@s」
現在、月に1回くらいのペースでスペイン語圏(ラテンアメリカやスペイン)の映画を見てお話する会「sol@s」(「ソロス・ソラス」とよみます)を、東京の西側で開いています。日本で公開されていないマイナーだけど大事な作品を全員で見て、その後担当者が解説をして皆で感想を言い合うという形をとっています。このブログを見ていて参加したいという珍しい方がもしいましたら、ご連絡ください。この状況下なのでなかなか大勢では集まれませんが、こじんまりと続けていきたいと思います。
2021年6月7日月曜日
石田智哉『へんしんっ!』(オープン上映)を観て
2021年1月7日木曜日
2020年の活動まとめ
【 2020年に書いたもの】
・修士論文「キューバ映画の公共圏ー1960年代を中心に」
・『タゴール・ソングス』作品評(映画パンフレット)
・『アボカドの固さ』作品評(映画パンフレット)
・『眠る虫』作品評(web)https://www.nobodymag.com/journal/archives/2020/0904_1301.php
・「われ発見せり」『ユリイカ』2020年12月号
【2020年に発表したもの】
・科研研究会 社会主義文化のグローバルな伝播と越境「1960年代キューバ映画と社会主義圏の交流」(2月)
・日本ラテンアメリカ学会東日本研究部会「チリにおける『サード・シネマ』の展開」(12月)
【その他イベントなど】
・ぴあフィルムフェスティバルのセレクションメンバー(3回目)
・『タゴール・ソングス』トーク登壇(佐々木監督と、6月)
・キノコヤ『エル・スール』上映会トーク登壇(遠山純生さん、三宅隆司さんと、12月)
2021年こそは査読論文を通したい。そのためにはもっと勉強時間を増やさないといけない。あとは上映会をやりたい。字幕もやりたい。1日1日を大切にしよう。